眠れぬ夜。それはいつから始まったのか……
──不変の時・久遠の記憶──
悪夢。それは遠い過日の記憶、その断片が見せる幻。
忘れたくても忘れられない…いや、忘れてはならない記憶。
されど、その内容は過酷なもの。
「…う…ん……」
寂莫たる暁方。床に就きまどろんでいたラトレイアは苦悶の表情を浮かべる。
──苦しい…苦しい…忘れたい…でも忘れられない…―
夢の中でラトレイアは、ただひたすらに過去の記憶…
故郷の世界が滅び行く様を見ている事しかできなかった。
──世界は『滅び』を選んだ…。その望みを叶えるため、彼女は世界を再生させることは無かった…。
私は…荒廃していく世界に存在するモノの命を刈り取って…──
そのときの光景をただひたすら繰り返す。
「!」
ラトレイアは思わず寝床から跳ね起きた。
「…はあ……」
息は荒く、表情は青ざめている。
毎晩のように同じ悪夢が続き、ラトレイアは溜息をこぼした。
「ここしばらくは見ることもなかったのに…」
以前も連日のように悪夢に苛まれていたが、ダオスに打ち明けた以降、悪夢を見る回数は不思議なことに減っていたのだが…。
「…はあ…」
窓をふと眺めると、東の空が白み始めていた。
「今日も…あまり寝られなかった…」
ベッドから降りて服を着替え、ラトレイアは気分を変えるため会議室へと向かった。
会議室のあるフロアを目指し、長い廊下を歩いていると、どこかに外出していたのであろうか、ジャミルとデミテルに出会った。
「おや、珍しい。
今日は1人ですか」
いつも傍らに控えている侍従がいないことに僅かに目を見張ったデミテルは、つい言葉を漏らす。
「あ…おはよう。2人とも」
質問に答えることなく、虚ろな眼差しでラトレイアは口上を述べる。
顔色もどことなく青白い。
「…何かあったの…?」
ジャミルも、普段と違う様子のラトレイアに驚き彼女の肩に手を添える。
「──…ん。ちょっと…寝不足で…」
会議室に向かう道中、力なくラトレイアは答えた。
その足取りは重い。
会議室に辿り着くなり、ラトレイアは椅子に腰掛けるとテーブルに突っ伏してしまった。
「ちょっ、本当に大丈夫?」
さすがに心配になったジャミルは彼女の額に手を当て、熱を測り『熱は無いみたいね』と呟く。
「何か悩みでもあるんですか?」
彼女の状態を見てデミテルは『悩みがあるなら聞きますが?』と問いかける。
「……」
「ちょっとデミテル。具合悪い時に無理に話させなくても」
デミテルの問いかけに答える様子も無いラトレイアを見てジャミルは、彼に向かって語気鋭く言い放つ。
それに対してデミテルは『おやおや…随分と珍しいこともあるものだ』と、珍しく己に向かって語勢を荒げるジャミルの詰問をかわした。
「…眠れなくて…」
「…はい?」
唐突に話し出したラトレイアの言葉にデミテルは首をかしげる。
この人は何を言ったのか。『眠れない』と?
デミテルとジャミルは顔を見合わせる。
「ここ連日のように、夢見がすこぶる悪くて…」
顔を伏せたまま、ラトレイアは訥訥と語りだした。
「悪夢…ねえ…」
ラトレイアの語る内容を聞きジャミルはどうしたものかとため息を漏らす。
「ちなみに、どのくらいの期間夢見が悪いんですか?」
デミテルはラトレイアに問いかける。
「……覚えてない……けど、だいぶ前から…」
寝不足で回らない思考を廻らせ、いつごろから夢見が悪いのか思い出そうとするも、毎晩のことのため記憶も曖昧になっていたラトレイアは正直に答えた。
「そんなに酷いの…?じゃあさ、良い考えが浮かんだんだけど」
何かを思いついたらしい、ジャミルはラトレイアの顔を覗き込むように彼女の肩に腕を回し、己の顔を近づける。
その様子にデミテルは僅かに眉をひそめ、ジャミルが何を言い出すのかと次の言葉を待つ。
「夢魔と契約を交わさない?」
「…契約…なんの?」
ジャミルの問い掛けにぼんやりとした眼差しでラトレイアは彼女の顔を眺める。
「そう、悪夢喰らいの夢魔を紹介してあげるよ。
そいつに悪夢を食べてもらえば?少しは眠れるようになるんじゃない?」
「ああ…ナイトメアあたりなら、悪夢を食べてくれるかもしれないですね」
ジャミルの提案に、デミテルも頷く。
「ただ、魔界から呼び寄せなくてはなりませんが…」
「あ…そうか。でも、今回くらい呼び寄せても大丈夫じゃない?どうせ…」
──いずれ、神界に挑む戦にナイトメアも参戦させるのだから──
彼らはヒソヒソと密談を交わす。その様子にラトレイアが気付くことはなかった。
「…うーん…たぶん、ナイトメアでも喰らい尽くせないと思うけど…」
ラトレイアが見るのは膨大な過去の記憶。夢の欠片。
下手をすれば、夢魔のほうが倒れてしまうかもしれない。
「それでも、少しは今の状態が和らぐかもよ?」
ジャミルはなおも食い下がる。
──さて…どうしたものか…。
何か策があるわけでも無い。2人の策略なども微塵も感じないところをみると、珍しく本気で心配していてくれているのだろう。
「…そうですね。では、お願いしてもいいかしら?」
ラトレイアは悩んだ末…彼らの提案を好意と受け取り、悪夢のみを食らうという、一風変わった契約を交わすことを承諾した。
ナイトメアと契約を交わしたその夜から数日後。
少しずつではあるが効果はあるらしく。
ラトレイアは久しぶりに眠れている気がしていた。
だが、その一方では夢魔に異変が起こり始めていた。
ある銀鉤の晩。
ラトレイアの様子を伺いにジャミルとデミテルは彼女の寝室を訪れていた。
彼女が眠りについてしばらくののち。
悪夢が始まったのかラトレイアの顔に苦悶の表情が浮かびだす。
凶夢に呼応するかのようにナイトメアが現れ、彼女との契約を元に己の糧とするため問題の夢を食らう。
その刹那。
「デミテル…そこで何をしている」
彼等2人の主、ダオスが、覚えの無い魔物の気配を感じ取ったのかラトレイアの寝室へと訊ねてきていた。
ラトレイアは起きる様子は無い。
ダオスは音を立てることなく、己の従者のもとへと歩を進める。
「これはこれは…ダオス様」
恭しく頭を垂れるデミテルを見据えるとダオスは眉を顰め、『質問に答えよ』といわんばかりに彼等の顔を睥睨する。
「ラトレイアが悪夢を見続けて寝不足だと悩んでいたので、魔界から夢魔を呼び寄せたのですよ」
「悪夢喰らいの夢魔ですし、問題の夢以外は食さないという契約ですので、ご心配には及びません」
デミテルとジャミルは、主に順を追って説明をする。
「…悪夢?」
彼女に害をなすわけではないということが分かり、ダオスは警戒を緩めた。
以前、故郷の悪夢をよく見るとラトレイアは話していた。
再びその夢を結ぶようになったというのだろうか…。
確かに、ここ数日の彼女はどことなく顔色が悪かった。
その時である。
「ぐっ……!」
かすかにうめき声を上げたかと思えば、ナイトメアはその場に崩れ落ちた。
息も絶え絶えにうずくまる。
「どうした?」
デミテルは急な出来事に瞠目し、己が呼び寄せた魔物に問いかける。
「…申し訳ありま…せん…デミテル様…わ…たくし…では…
この方の…悪夢は…きょ…よう…量…超えて……ます
永久に…続くかの…ような…や…み…が」
そう言いナイトメアは気を失ってしまった。
「……」
その様子にデミテルとジャミルは言葉を失った。
魔に属する者にとっては、負の感情は己の活力にもなる。それゆえ、悪夢などは夢魔にとっては最高のご馳走。ましてや、ラトレイアの様子から察するにナイトメアにとっては極上の悪夢だろうに。
「一体どんな夢だというのか…」
永久に続くかのような闇とは一体何なのだ?
デミテルは、予想外の事態に背筋が寒くなっていくのを感じた。
「…ふう…む…ん?」
自分の寝床の周りに気配を感じ、ラトレイアはふと目を覚ます。
眠たげな表情であたりを見渡せば、そこにはデミテルとジャミル。そして…
「…ダオスさま…?」
なぜここに彼がいるのだろう?これは夢だろうか?
夢と現の狭間にいるように、感覚がはっきりとしない。
状況が分からず、ぽかんとした顔のままラトレイアはダオスを見詰めた。
その様子を見て、ダオスはデミテルとジャミルに対し退室を促す。
彼等は主君の意思に沿うべく、気絶したままの夢魔を連れてラトレイアの部屋を後にした。
ラトレイアはうつろな眼差しで、退室していくデミテルたちを見ておぼろげにではあるが、やはりナイトメアでも己の悪夢は許容量を越えていたのだろうと理解した。
「ここ数日、様子がおかしいとは思っていたが…」
おもむろに、ダオスは寝台に座るかのような姿勢のままで見詰めてくるラトレイアに穏やかに囁きかける。
「…あまり無理をしてくれるな…」
そう言うと、自身のマントにラトレイアを包み込み、優しく慰めるかのように抱きしめた。
「私に頼っても良いのだ。…彼等魔族に頼らずとも良い」
その声は、どこか切なげであった。
──そうか、これは夢なのだ。甘い夢を私は見ているのね…
そうでなければ、このような刻限に、部屋にダオス様が訪れるわけもない。
そう思ったラトレイアはダオスの首元に顔を埋める。
「…申し訳ありません……」
「良い。これからは、眠れぬ時は私の元へ来るといい」
「……は…い…」
ダオスのぬくもりが心地よく、恍然とした様子でラトレイアは彼の申し出を受け入れた。
「さあ、もう横になるといい…」
ダオスはラトレイアの背に手を添えゆっくりと彼女を寝台に横たえる。
「はい…」
ラトレイアは促されるまま横になると、徐々に瞼を閉じていく。
隣にある温もり、そして、心地よい心音。
髪を梳く手の動き。被された夜具の温かさ。
ラトレイアはいつしか凶夢ではない夢境へと誘われていった。
「……」
その表情はとても穏やかで。
「…おやすみ…」
──抱きしめて安らぎを与えられるのであれば、悪夢に苛まれることが無くなるのならば…
そう思いながらダオスは彼女を掻き抱くその腕に優しく力を籠め、そして額に口付けを落とすと目を閉じた。
携帯サイト初出:2009年5月9日 了。
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