──残桜の園──

ユミルで見かけた可憐な花を身にまとった古木。

その古木の名をソーサリスに聞いたところ、あの花は『桜』というらしい。
なんでも春の時期にしか咲かない花らしく、そろそろ花の見頃も終わってしまうのだとか。

「…もう一度、見に行きたいなあ…」

──残桜の園──

「…まだ咲いているかしら…」
ふと、物思いにふけりながらラトレイアは呟いた。

「…何ですか?」
ヴァルローダはラトレイアの呟きを耳にして彼女に問いかける。
「ん?この前ね、綺麗な花園を見付けたの。
ソーサリスにその場所のことを聞いたら、『桜』って言う綺麗な花が咲く場所って教えてもらってね。なんでも、春の時期にしか咲かないらしくて…まだ咲いているかしらと思って」
窓の外を眺めながらラトレイアは言葉を続けた。
その様子を見ながらヴァルローダは、主を探して出かけた時にユミルの森最奥で見た桜を思い出す。

―…確か、あの時マスターはあの方に口付けされていましたね…。城に戻ってきた時もどことなく照れてらっしゃったし…。

自分達は彼等が動き出した直後に慌てて先に城へ戻った後、城主と一緒に帰還した時のラトレイアの様子をこっそりと伺っていたのだが…。
窓の外を眺めるラトレイアの表情をヴァルローダからはうかがい知ることは出来ない。が、耳元を見やるとどことなく赤い。
おそらく、花園での出来事を思い出してしまい恥ずかしくなって顔を見られたくないのだろう。

――その場面を偶然目撃してましたとも言えないからなあ…。

ヴァルローダは心の中で苦笑した。

たぶん、あの場に自分が居たことに気付いていないのは彼女だけだろう。

ソーサリス曰く、あの方は我々の気配に気付いていたらしいとの事だった。お咎めは無かったらしいが…。

「では、誰かを誘ってお花見に出かけましょうか?」
ヴァルローダはラトレイアに問いかけた。
「まだその花園に咲いているかもしれませんし。私も見てみとうございます」
その言葉にラトレイアは、ヴァルローダは見たことが無いのを思い出した。
「そうね!見に行きましょうか」
彼の提案を受け入れ、ラトレイアは出かける準備を始めた。

 ユミルの森、最奥部。
ラトレイア達は桜のある区域にいた。

「まだ咲いているといいねえ…!」
ソーサリスは朗らかな笑顔でラトレイアに笑いかける。
「そうですね!」
彼女もそれにつられて笑顔で答えた。
「もう見頃の時期は過ぎている気もしますが…」
デミテルは、『何故私までマナが満ちている森の側まで行かなくてはならないのだ』と内心悲しくなった。

魔族にとって、マナは厄介な物に他ならない。
――幸い、ヘイムダールには入らないみたいですからまだ良いですが…。良くまあソーサリスはこの場所を知っていたものですね。

デミテルはちらりとソーサリスを眺め見る。
その様子を、後方でダオスは眺めていた。

「…わあ…!」
最奥にある開けた場所、見事な古木のある場所へと辿り着いたラトレイアは感嘆の声を漏らす。

ふと、ダオスは目線を彼女に向けた。

「うそ…凄い、まだ咲き残ってた…」
ソーサリスは目の前の光景に目を疑った。
周辺の桜はみな散っていたのだが、それに反比例するかのような零れ桜。それは見事な古木。
まるでラトレイアを待っていたかのようなその木は、風に揺れるたびに花びらを音も無く空に舞わせている。

ひらひら、ゆらゆら。風になびく花弁。その様子は煽ち風によってくるくると変わってゆく。

――はやく、こちらまでおいで…

そう言わんばかりの光景。
誘われるがままにラトレイアは桜の根元まで歩を進める。
彼女のあとに続くかのように、ダオスも歩を進めた。

――花霞が濃くなった…?
ヴァルローダは、己の主と彼の人を見失いかけるほどの花吹雪に目を疑った。
「なんだか、桜吹雪で前がよく見えないや…」
ソーサリスは思わず目を瞑る。それと同時にデミテルは古木にある種の魔の気配を感じた。

「…あながち、桜には魔が棲むというのも嘘ではなさそうですね」
ポツリと呟いた。

 桜の根元に辿り着いたラトレイアとダオスは、先程までの花吹雪が収まっていることに気が付きあたりを見回した。

周囲に従者の姿はない。
「……?」
皆、どこへ行ってしまったのだろうか?
ラトレイアは小首を傾げた。
「……花霞ではぐれてしまったようだな」
ダオスは冷静に状況を分析し、彼女の側に歩み寄る。
「そうですね…先程の桜吹雪は凄かったですからね…」
まだ夢見心地のような表情で、木の根元に腰掛け木肌を撫でると桜を見上げ目を瞑る。
花びらが落ちていく音に耳を澄ます。さらさらと静かに舞う桜の花弁の織り成す静けさがとても心地よい。
いつしかラトレイアはまどろみの淵へと落ちていた。

──どうもおかしい…。
桜に凭れ掛かりまどろむラトレイアを守るかのようにダオスは寄り添うと、頭上からかすかに気配を感じた。

魔族とも魔物とも違う、何か。
気を緩めることなくダオスは己のマントにラトレイアを包み込むと、優しく抱き寄せた。

「……あな口惜しや…あと少しでその者を我が物に出来たものを…」
頭上から僅かに忍び声が漏れた。
「まあ良いわ…こうも守りが強い者を無理やり連れ去る程無粋ではないのでの…」
くすくす笑いながら、その気配の主は姿を消した。

「……」
気配が去ったことを確認してからダオスは警戒を緩める。
すると、一陣の風が吹いたかと思うと、二人を探していたのだろうかデミテルたちが駆け寄ってきていた。

「一体なんだったのでしょう。先程まで全く視界が効かなかったのですが…」
「見つかって良かったああ!…一時はどうなることかと思いました」
ヴァルローダとソーサリスは口々にダオスに語りかける。
「…ふあ……」
まどろみの淵から戻ってきたのか、ラトレイアは目を瞬かせ背伸びをする。
その様子を見てデミテルはダオスの傍らに歩を進めた。
「どうやら、魔に魅入られかけていたようですね」
彼女の様子と、主の行動から判断して呟いた。
「…気付いていたか」
「いえ、ここに来るまでは全く」
ダオスの問い掛けに正直にデミテルは答える。
「ただ」
「ただ?」
デミテルの呟きとも取れない籠もり声にダオスは続きを促す。
「…桜には魔が棲みやすいと、聞いたことがあります。
このくらいの古木なら、いても不思議は無いでしょうね」
──彼女は、魔に属する者に対しても全く変わらぬ対応をしますからね。普通なら忌み嫌う魔にも同等に語りかける。

「何故そのように振舞えるのか、一度聞いてみたいものですよ」
デミテルは『理解できない』とでも言うかのように言葉尻を終えた。

渦中の人は、ソーサリスと「綺麗な風景ね」などと他愛も無い話に花を咲かせている。
「ダオス様、どうかなされましたか?」
視線を感じたラトレイアは小首をかしげて視線の主を見やった。
「いや…」
それに答えるかのようにダオスは優しく微笑んだ。

「そろそろ戻るとしよう。我が城へ…」
ダオスはそう言うとゆっくりと立ち上がりラトレイアに手を差し伸べる。
「はい」
ラトレイアはその手を取り立ち上がるとにこやかに笑みを浮かべた。

花園から遠ざかって行く彼女らを見送るかのように、また一陣の風が吹く。

──さようなら…

花びらは別れを惜しむかのようにいつまでも棚引いていた。

携帯サイト初出:2009年5月12日 了。

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