ヴォトカ。それはアルコール含有量が高いお酒。
地域によっては他のお酒と混合してカクテルを作ったり、香り付けをした物もあったりするが原産地域では何も混ぜずに飲まれることが多い、一般的には無味無臭無色な液体。
少し小さめなグラスに、ゆっくりと。瓶の中身をデミテルは注ぎ込む。
今の時刻は宵の口。
1日の終わりに、食後に少し呑もうとデミテルは己の好みの酒瓶を開け、テーブルの上に置くと瓶を戻しに席を立った。
テーブルにあるのは、グラスに注がれた、一見水と間違えてもおかしくない液体。
ヴォトカの瓶を貯蔵庫へ戻してきたデミテルは、机上の異変に気付き、こう呟いた。
「……私のヴォトカが無い…」
──すぐそばにある小さな幸せ──
「……ほんの少しの間、席を離れていた間に…」
デミテルは、己が飲もうと準備しておいたグラスが消えていることに瞠目し、辺りを見回す。
すると、そこには先程までいなかったソーサリスの姿があった。
手にはガラスのコップを持ち、水瓶からコップに中身を注いでいる。
「…丁度いいところに」
デミテルは居合わせた己の部下に訊ねることにした。
「あれ?デミテル様、どうかしたんですか?」
ソーサリスは先程から小声で呟きながら何やら思案していた上司を見やり、手元のコップに水を注ぎながら問いかける。
さっきから何か小声で呟いてましたけど?と彼女は不思議そうに小首を傾げた。
「ああ…先程、テーブルの上に小さめのグラスを置いておいたのですが…貴方知りませんか?」
手振りで、グラスの大きさを示し『呑もうと準備していたんですけど…』とソーサリスに問えば彼女はきょとんとした面持ちになる。
「…そういえば、さっき…」
数分前の出来事を思い出しソーサリスはデミテルの質問に答え始めた。
「ちょっと前に、ラトレイアちゃんがグラスを持ってキッチンに行きましたよ?」
「ラトレイアが?」
デミテルは鸚鵡返しに聞き返す。
「はい。そのときには私以外にも何人か居たので人数分のコップを出して水を注いでいたんですけど…あ、そういえば私、注いだコップをデミテル様が置いたグラスの側に纏めちゃってたような…」
うーんと唸りながら、ソーサリスはそのときの状況を思い返すように言葉を締めくくった。
「と、いうことは…」
「間違って、デミテル様のグラスをラトレイアちゃんが持ってっちゃった…と思います」
ばつが悪そうにソーサリスは、あははと苦笑いを浮かべる。
「あのグラスの中身って、お水じゃなかったんですか?」
疑問に思ったソーサリスはデミテルの顔色を伺う。
「水な訳無いじゃないですか。お酒です」
私のお気に入りのヴォトカですよ…。
ため息混じりにデミテルは答えると、また貯蔵庫から持ってこなくては…と落胆の色を見せた。
「え?ヴォトカですか?」
それ、本当ですかといわんばかりにソーサリスは自身の手にあるコップをテーブルに置くとデミテルに向き直る。
「冗談を言うわけが無いでしょう」
本当ですよ、とデミテルは質問に答える。すると、どういうわけかソーサリスの表情が若干曇っていった。
どこと無く青ざめているというべきか。
「顔色が悪いですが、気になることでも?」
中身は蒸留酒だということを知った途端に己の部下が考え込んだのに僅かに驚いたデミテルだったが、彼女の次の言葉で血の気が引く思いをすることになる。
「…たしか、ラトレイアちゃん…お酒呑めないクチだったような…
前にヴァルローダから聞いたことがある…」
「それを早く言ってくださいよ!!」
ソーサリスが言い終えないうちにデミテルは大慌てで彼女がいると思われるキッチンへと歩みを進めた。
──ああ、もしお酒を飲めない彼女がヴォトカを飲み干していたら…
酒に弱いものであれば、度数の高いヴォトカを呑んだら小さなグラス1杯でも酩酊する。
自分はあれしきの量では酔わないが、呑めない者であれば間違いなく酔うだろう。
場合によっては昏倒してしまうかもしれない。
もしそうなれば…
キッチンまでの道のりが長く感じられるが、距離的にはそう長くない。
短時間の間にあれこれ考えているうちに、目的の場所で何かが倒れるような音がした。
「まさか!?」
ラトレイアの事が気になったのか、いつの間にかデミテルの後ろにソーサリスがついてきている。
彼女が青ざめるのを尻目にデミテルは音のした場所へたどり着いた。
「…!!」
キッチンに入り真っ先に目にしたものは、椅子に腰掛けていたのだろうか、椅子が後方にずれておりその傍らに倒れているラトレイアの姿だった。
台の上には空になっているグラスが置かれている。
グラスにはまだ水滴が残っているため、今飲み干したばかりなのであろう。
「うわー!ヴァルローダが言ってたのやっぱり本当だったんだっ!
ラトレイアちゃんしっかりしてー!!」
自分が水の入ったコップをデミテルのグラスの側に置いてしまったばかりに!!と言わんばかりにソーサリスはラトレイアを抱き起こそうとするも、グラスの中身を呑み干し、アルコールに弱いが為に目を回している彼女を介抱することは至難の業。
下手に動かすわけにもいかないとデミテルも困惑気味である。
なんといっても、彼はあまり酩酊したことがないので、どう介抱して良いやら見当がつかないのである。
「……そこで一体何をしているのだ…?」
騒がしさに気付いたのか、偶然通りかかったこの城の主、彼らの主君であるダオスが声をかけた。
その声にソーサリスは『助かった…!』といわんばかりに顔を輝かせ、そしてそれとは対照的にデミテルは『不味いところに…』といったように表情を強張らせる。
対照的な反応を見せる己の部下達を不審に思いつつもダオスは室内へ入る。と、何故彼らが慌てているのかが判明した。
「…ラトレイア?」
床に倒れこんでいるラトレイアに寄り添うと、ダオスは彼女を優しく抱き起こす。
顔はほんのり上気しており、どこと無く体が熱い。
始めは、風邪か何かなのかとも思ったが、ダオスは台上にあるグラスに見覚えがあった。
「…あのグラスは…」
そう呟き、ダオスはラトレイアを抱きかかえたままデミテルを見やると、その視線に耐えかねたデミテルは、彼に目線を合わせることなく重い口を開いた。
「はい、私のグラスです」
好物のヴォトカを食後に呑もうとしていたこと、一寸席を外した直後にソーサリスがデミテルのグラスの側に水を注いだコップを何個か置いていたこと、それを知らずにラトレイアが水と間違えてグラスを持っていってしまったことなど、
事の顛末をデミテルは語りだした。
「…それで今の状態なのだな?」
上司と同罪だと思ったソーサリスも、デミテルの話に補足する形でダオスに状況を明かせば、彼は事態を理解し言葉を終える。
「はい…。
以前ヴァルローダに聞きかじってはいた気がしたんですが、本当にお酒がダメだったなんて…」
ソーサリスはラトレイアに申し訳ない気持ちで一杯になり、どう介抱すればいいか分からない自分が情けなくて意気消沈としていた。
「…う…うーん…」
気が付いたのか、目が回りつつもラトレイアはうっすらと目を開けた。そして
「うう…なんだかあたまがふらふらします…
あと…口の中がにがい…」
そう言ったかと思うと次には伏し目がちになり、しまいには…
「…ねむい…で…す……」
そう言って、ダオスの腕の中ですやすやと寝息を立ててしまっていた。
「……完全に酔ってる…」
ソーサリスは、ラトレイアはお酒が呑めない上に、酔うとすぐ寝てしまうということを知った。
「そうですね…完全に酔ってますね。
…無味無臭無色なヴォトカを『苦い』って言いましたね、今…」
味の無いヴォトカに含まれるアルコールの苦さが分かるんですかね?と思いつつデミテルは不思議そうにその寝顔を眺める。
「どうしよう…ここで寝ちゃったら風邪引いちゃうよ…」
かといって、寝ているラトレイアちゃんを彼女の部屋まで連れて行くのは大変だし…
これからどうしたら良いか思案しているソーサリスとデミテルをよそに、ダオスはラトレイアを抱きかかえたまま徐に立ち上がり
「…案ずるな」
そう言い置くと、心配そうにラトレイアを見詰めるソーサリスにあとは任せて下がってよいと声をかけると、その場をあとにした。
「……うーん…」
未だにお酒の苦味が口に残っているのか、ラトレイアはダオスの腕の中で身じろいでいる。
酔っているラトレイアを気遣い、ダオスは彼女を起こさないようにゆっくりと歩みを進め、この場から距離のあるラトレイアの部屋まで行くよりは彼女の負担が軽かろうと思割れる場所、すなわち自室へと向かっていった。
「…うーん…」
ラトレイアは口元をもそもそと動かしながらも眉根は寄せたまま、未だ夢の中にいる。
ダオスは自室へラトレイアを運ぶと、彼女をゆったりと寝かせるためそのまま寝室へと歩みを進めて行く。
閨に辿り着くと、リボンでまとめあげている彼女の髪を下ろしてやり、掛け布団をはぐりラトレイアを優しく横たえさせれば、夜具の心地よさにラトレイアは無意識のうちに頬を寄せた。
その様子を眺めつつダオスは、中毒症状などが出ていないラトレイアに安堵を覚える。寝台の側に水差しとグラスを用意し、彼女が水を望めばすぐ介抱出来るように準備をすますと己のベッドの縁に腰を下ろした。
時折、寝言のように小さな声で何事か呟くラトレイアの頭を撫で、髪を梳ずってやりながらダオスは目を細めた。
──この星に来て、またこうした幸せを感じる事が出来るようになるとはな…。
ラトレイアの寝顔を見つめるその顔には、普段からはとても想像がつかない程穏やかな笑顔が浮かんでいた。
「ふ…あ……?」
ラトレイアは、時折感じる温もりに目を開けた。
「…気が付いたか…?」
ダオスは未だに酔いが抜けていないラトレイアを気遣うと背に手を添え、抱き起こす。
ダオスがすぐ側に、そして手を自分の背に添えている今の状態に思考が追い付かずぼんやりしていると『水は飲めるか?』と問われた。
なぜだか分からないが口内に苦味があり、舌がピリピリとし喉がカラカラなラトレイアは、力が入らないなりに彼の問いに答えようと思惟を巡らす。
「はひ…。いたらきまふ…」
呂律が回らないがなんとか意思表示を示すものの、背後に添えられている支えが無いとバランスが取れず、ラトレイアはすぐにベッドへ埋もれてしまった。
「あう…めがまわりまふ…」
舌もピリピリしまふ…なんで…?
譫言のようにラトレイアは呟いた。
「…そうか」
彼女のその様子を見たダオスは、水を注いだグラスを手渡しても飲めそうに無いと判断すると、しばし思案したのち…
「…ふむ…!?ん…」
己の口に水を含むと、ラトレイアの唇に深く口付けた。
突然の事で驚いたラトレイアはつい口を開くと、その隙にダオスから水を与えられる。
「…ん…」
こくん、と喉を鳴らせば、待ち望んでいたそれにより、少しずつ喉が潤ってゆく。
「…は…あ…」
初めての行為の為戸惑いがあったが、水が欲しいという欲求には適わない。
「…もう一杯、飲むと良い…」
ラトレイアの表情を見やれば、飲み足りない事を察したダオスはもう一度口に含むと、彼女の唇に己の唇を重ねた。
「…ん……」
こくん、こくんと、ゆっくりと。
水を飲み干しながら、ラトレイアは先程まで口内にあった苦味が薄れていくのを感じた。
──とても…あまい…
「…ふ……んっ…」
飲み終えたのを確認するかのようにダオスは唇を離すと、ラトレイアは酔いもあり、上気した頬が更に朱に染まっていた。
離れていく感触に彼女は思わず息を漏らす。
「…幾らか落ち着いたか?」
ラトレイアを気遣いながらダオスは彼女の体を優しく寝台に横たえると、夜具を掛けてやりながら問いかけた。
「…はひ…」
「そうか…。
今宵は此処でゆっくりと休むと良い」
──もう夜も遅い。
そう口を開くと、ダオスはラトレイアの手を優しく握りしめ。
ラトレイアが再び眠りに落ちるまで、時折髪を梳ずりながら彼女を介抱し続けた。
携帯サイト初出日:2010年1月30日 了
修正:2024年7月9日
お題拝借先
Alstroemeria様
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