デスマスクとアフロディーテを女神神殿から見送ってしばらくした後。
──…さっきの黒影は見覚えがあるわね。
故郷でも度々目にしたアレ…。死期が近い人物に見えるモノだ。
美鷺は先程見えた現象について物思いに耽る。
聖闘士はその存在意義上、戦場に赴けば誰だって死と隣り合わせである。
任務とあれば危険が付きものだ。それゆえ普通に暮らしている人間より遥かに死と近しい場所に居るだろう。
それでも美鷺はこの黒い影があまり好きになれないのだった。
誰かの死を予知してしまっても、伝えるわけにもいかないからだ。
宣託としてであれば、占いの結果として注意を促すことはできる。
だが、人間がその結果を覆すなど稀であろう。
そして、彼…デスマスクに見えたモノは数秒で消えた。
もしかしたら自分の見間違いかもしれない。
変な事を言って、警戒されては偵察に支障をきたすかもしれない。
それは極力避けたいところだ。だけれども、もし万が一また見えたら…
──…。関わりをもった以上、予知を伝えないのも気が引けるわね…。
鉢合う機会があったときに再度見えたら忠告をしてみようか…。
はあ…と美鷺は長嘆息を付くと、教皇は慰問に出ており今日は神殿には来ないという事もあり私室に戻ることにしたのだった。
それからまた数日のち。
彼等と出会う事もなく、教皇との穏やかな日常が過ぎて行った。
毎朝朝食を共にし、その後各々過ごしたり拝謁日であれば謁見し。
夕食を共にした後はそれぞれ各自の部屋で過ごしたり。
美鷺は偵察に出る間もなく教皇と過ごす時間が増えていた。
夜はと言えば。就寝後、実体を持たない姿で聖域を巡りその場に居住する精霊から
日々起こった出来事の報告を受け取ったり、謎の青年の部屋に招かれ共に語り合ったり等の機会が増えていた。
青年の名は未だ明かされることは無かったが、共に時間を過ごしてみて面影・雰囲気・小宇宙それぞれが、かつて一度だけ出会い会話を交わしたあの少年に酷似している。
13年前に比べて小宇宙は強大さを増しているようだが、十中八九同一人物だろう、と美鷺は感じていた。
ある日の晩。
「……もう夜も明ける。そろそろ…」
「…そうですわね…。また明日…」
そう言いながら、青年の隣に座り話し込んでいた美鷺は徐に立ち上がる。
美鷺の「また明日」の言葉を聞き彼は目を細めると儚げに微笑んだ。
その仕草がとても印象的で美鷺は暫く彼の顔を眺めてしまい。
そして、不意に不安に駆られたのであった。
『この有意義な時間の終わりが近付いているのかもしれない』と……。
何故ならば、うっすらと見えてしまったのである。
青年に黒い影がちらついているのを…。
自分でも快く思っていない、デスマスクに見えた例のアレである。
それがこの青年にも影を落としている。
─…言うべきか言わざるべきか。
美鷺はどうしたものかとその場から動けなくなっていた。
「…?そのように固まって…どうかしたのか?」
青年は不思議そうに美鷺を見つめ返した。
美鷺は声を掛けられて我に返り
「あ…いいえ、その…」
言い淀む仕草を見せる美鷺に、青年は再度不思議そうに首を傾げる。
その姿にはもう例の影は映り込んでいなかった。
美鷺は気のせいか、少し過敏になりすぎたか…?と気を落ち着かせると
「……おやすみなさい…」
──数日、御身に何かあるかもしれない、くれぐれも気を付けて、などと忠告するか悩んだが
一先ず様子を見るということにし、何も伝えずに寝室の扉の奥に消えていった。
美鷺が扉越しに暫く動けなくなっていると
ベッドが軋む音がし。しばらくして規則正しい呼吸の気配を感じ美鷺は、先程見えたのは何かの前兆か間違いか悩みながら部屋の外へと向かう為足を進めた。
いつもなら予兆かどうかなど判別がつき、即座に対応できるのだがどうにもこうにも聖域に来てから調子がよろしくない。こんな事では聖戦が始まればアテナにとって不利になるだろう。
「…それだけは避けたい所よね…」
美鷺はため息を一つ吐きまた一歩歩み出す。
すると、美鷺は珍しくデスクの上に目が留まり。
何気なく見た机上には見覚えのある封蝋が施された1通の手紙があった。
それは城戸家が親書や正式な手紙の封に使う印璽。
「……」
中身はうかがえないが、おそらく日本に居る女神からの親書であろう。
「……決戦の時は近い…か…」
ぽそりと美鷺は呟くと、部屋の外へと消えていった。
翌朝。
いつものように教皇と朝餉を摂り、一通り会話が済んだ頃。
教皇が珍しく人払いをしたのであった。
珍しい事もあるものだ、と美鷺は彼の動向を探ろうとじっと見据え。
彼の人から発せられる言葉を待つことにした。
「……」
「………」
教皇の表情は相変わらずマスクに覆われていて伺い知れない。
だが小宇宙の乱れもなく落ち着いて入るようであった。が、なかなか口を開かない。
──さて、どうしたものか…?
辺りは静寂に満ちていた。このまま無言で居ても時間は過ぎるばかりである。
このまま無言で対峙していても埒が明かない。先手を打ってこちらから口火を切ろうかと美鷺が思案していた矢先。
「…昨日」
教皇が言葉を発した。
「昨日、日本からこの教皇宛に親書が届きましてな」
「…それで?」
美鷺は彼の言葉の続きを促すように椅子にゆったりと座りなおした。
「はい…。城戸邸では貴女の妹君。女神からの親書にございます。
近々こちらにお見えになるとの事でした」
「あら、そうですの…。聖域側から迎えを出すのではなく?」
「はい、直接こちらに赴くとの事でした」
淡々と答える教皇に美鷺は内心、彼は手間が省けたと思っているのだろうか、それとも拙い事になったと焦りを見せるかしら?と心情を伺おうとしたがマスクに阻まれ。
「…では、くれぐれも失礼の無いよう、丁重にお迎えしなくてはなりませんわね?」
満面の笑みを浮かべ、自分が連れられてきた状況を思い出しながら美鷺は教皇に釘を刺した。
「左様で御座いますな」
教皇は美鷺の揺さぶりにどことなく楽しげに答えたのであった。
──…随分と余裕だ事…。
彼の様子を見、これは手間が省けたとみていると思っていいかどうか思案しつつも席を立とうと立ち上がり教皇に背を向けようとした。
その一瞬、何かが光ったように美鷺は見えた。
「…?」
「…如何なさいましたか?」
辺りをきょろきょろと見回す彼女を眺めつつ教皇も立ち上がる。
周囲には特に光を放つようなものもなく。
…あるとすれば太陽光に反射して光る教皇の装飾品ぐらいか…?
美鷺はそう考えながら、慎重に彼を眺め。
「…何でもありませんわ?
では私は女神の寝所を整えておかなくては」
そう言い美鷺は教皇に背を向け歩き出そうとしていた。
していたのだが…。
「……教皇?」
何故だか美鷺は彼に手を?まれ行く手を遮られていた。そして。
「…っな!」
グイ!と引き寄せられ美鷺は思わずよろめき。
すっぽりと教皇の腕の中に納まっていた。
「一体何のつもりです、女神のお部屋を掃除せねばならないのです離し…」
「アテナがお見えになるのは、こちらに親書が届いてからの日数を換算して
大凡、明後日の早朝ではないかと…」
「でもだからと言って、お部屋を整えておかない訳にはまいりませんわ?」
今日は拝謁日ではないのでしょう?であれば早急にお掃除に取り掛からなくては…
と、美鷺は身動ぎしながら彼の腕から解かれようともがいていた。
けれども腕力の差は歴然としていて。
「んうー……もうっ!」
どう頑張っても身動きが取れず、美鷺は頬を膨らませて抗議した。
その仕草に気を緩めたのか、教皇は腕の力をゆっくりと解き
「……この穏やかな日常も残り僅かと思いますと、些か勿体無く感じましてな…」
失礼いたしました、と美鷺に一詫びすると己の腕から解放したのであった。
「……。そうね。ですが、女神が降臨した訳を貴方も知っているでしょう。
聖戦の為…なのですから」
教皇からの意外な一言に面喰い、戸惑いながらも美鷺は彼の話に耳を傾ける。
「それに…」
「…?」
「それに…聖戦時とはいえ、穏やかな日が無いとは限りませんわ?
細やかな一時に得られる時間はかけがえのないものになると私は思います」
今度は女神も交え、皆でそういった日常を築き上げていくのも良いと思いますわよ?
と、美鷺は言葉尻を締めくくった。
「……」
美鷺の率直な意見を垣間見た気がし、教皇は暫し呆気にとられるとクツクツと愉快そうに笑い
「…左様で御座いますな」
私としたことが失念しておりました、そう言い彼は美鷺の手を恭しく取ると手の甲に口付けた。
「そうよ…。珍しいものを見た気分ですわ?
では、私は掃除に向かいますからね?」
美鷺は教皇に背を向けると、女神の寝所のある方角へと歩みを進め教皇宮から消えていった。
美鷺の背を見送り終えた後。
室内に一人になった教皇は悲しげに。彼女が向かった方角をいつまでも眺め…
「貴女が望むその日常が…この先に共に在れれば…どんなに良いか…」
すまない……ミサギ……
誰ともなしに呟くと、今度はクツクツと喉で笑いを噛み殺し。
「小娘が望むのであれば、共に在ることなど可能よ。
ただし、女神にはご退場願う事になるがな…」
その時を楽しみにしているがいい、と一頻り笑い教皇の玉座に戻ると瞬く間に瞑想に入ったのであった。
それから二日後。
教皇の見立て通りに女神沙織は聖域最下層、コロッセオからほど近い広場に青銅聖闘士と
執事の辰巳を連れて帰還。
聖戦の火蓋は切って落とされたのであった。
十二宮最初の宮、白羊宮前の広場で美鷺は沙織と再会し、
再会を喜ぶ素振りの最中、調べ上げたことの顛末を女神に伝えた。
「まあ…ではやはり…」
「ええ、おそらくは…」
小声で。二人にしか聞き取れないほどの囁きで。
「さ、どうぞこちらへ。ご案内いたします」
修道服のように頭まですっぽりと覆ったローブを身に纏った男は一行を案内しようと声を掛ける。
それに対し星矢たちは思い思い口にした。
「やっぱりおいでなすったぜ
つまり教皇の間へ行きたければ12人の黄金聖衣を全て倒して行けという事か」
星矢のつぶやきに対し男はこれまでとは違い、含み笑いを漏らすと
神話の時代より十二宮を突破したものはいないことを明かした。
──それであれば、今回で成し遂げればよい話。
でも、まさかこれが女神に対する試練ではないわよね…?
美鷺は少しの間思考をそちらへと逸らした次の瞬間。
「だが!第一の白羊宮にも行かせん!!
この白銀聖衣 矢座のトレミーがな!!」
トレミーと名乗った男は声を張り上げたかと思えば、先手必勝とばかりに
技を繰り出してきたのだった。
「!!危ない!」
美鷺は咄嗟に沙織を庇おうと前に出、星矢たちはトレミーを討っていた。
「なんだこいつは、あっけねえ。
こんな奴が白羊宮の守護人なわけないだろう?」
星矢は訝しげにトレミーを見やると彼は息も絶え絶えに、教皇から直接沙織を葬れと勅命を賜っていたことをあかし。
良く見れば沙織の胸には深々と黄金の矢が突き刺さっていたのだった…。
「!!そんな馬鹿な…私をすり抜けていったですって…?」
身を挺したはずが、功を奏さず美鷺は驚愕を覚えたとともに、これが女神への試練の始まりかと察した。十二宮突破は、青銅聖闘士の星矢たちへの天からの試練なのだろう。
そこまでようやく見えてきたところで、美鷺も自身の様子がおかしい事に気付き始めていた。
次第に呼吸が荒くなり、肩で息をする。頭が酷く痛む。
「くっ…こんな時に…」
視界までふらついてくるとはどういうことか?
「ククク…そちらのお嬢さんはやっと効いてきたようだな」
「なんだって?」
星矢がトレミーを見やるとか細い声で彼は少しずつ言葉を紡いでいく。
「そちらの小娘…美鷺には不可思議な力があるようでな…
教皇様はその娘を手放すおつもりはないのだよ…クク…」
今際の際が近いのかトレミーは目を開けることなく笑うと
「どうやら術はお持ちのようだが、教皇自らの術だそうだ。
そう易々と浄化は出来まいよ。12時間後が楽しみでございますなあ…」
そう言うと彼は息を引き取った。
「…そうか…あの時光った何かね…」
美鷺はその場に膝をつき、自身に降りかかった試練がこれであることを悟った。
これでは十二宮突破のサポートをすることもままならない。
自分にとっての試練は、『手出し無用』という事か。
仕方ない、と美鷺は身の回りに球体状の結界を張るとその中に倒れ込む。
その結界の色は漆黒の色をしていた。
「…ふふ…強力な術のようね。
でも、見くびられては困りますわ?12時間以内で浄化してみせますとも」
沙織に関しては一刻の猶予もない事から、星矢たちは真っ先に第一の宮、白羊宮へと向かって行った…。
移転前初出:2017年6月7日
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