…微かに誰かの苦悶が感じられる…
聖域に連れて来られたその晩。美鷺は夢現にそれをとらえながらも、寝台に身を横たえていた。
──…ダレ…?
何故だか自分は実体を持たずに宙をさまよっていた。
辺りを見回しても誰もいない。否、何処からか声がする。
美鷺はそのまま、声に導かれるかのようにその場に移動していた。
奇妙な風景。生身の体で触れているわけでないからか質感があまり感じられない。
ああ、これは夢か。
美鷺は直感した。
でも、これは誰の夢…?
夢ではあるが、一体誰のものなのだろうか。
何かに苛まれているようだ。
声を頼りに意識をさまよわせる。すると、聖域でも標高の高い険しい山頂に場面は飛んだ。
「ここは…確かスターヒル…?」
誰かの争う声がする。この声は…
そして何者かが倒れ、また場面は変わった。
誰かの煩悶の声が響き渡る。
「私は、正義のために尽くしたいのだ…それを…」
悲痛な叫びにも似たその苦しみ。
見ればまだ少年のようだ。
頭を抱え身を捩り苦悶するその様は、美鷺にとって何故だか耐えがたいものだった。
「苦しまないで…」
その少年には聞こえないであろう。そう思いつつも美鷺は声を掛けずにはいられなかった。
彼の背にそっと手を当て、優しく撫でる。
「きっと、願いはいつか叶う…」
そう呟いて背を撫で続けた。
そして気付いた。その人物が少年の姿から青年の体躯に変わっていたことに…。
「…誰だ…」
その何者かがそう呟き、こちらに振り向いた気がした。
ぱちり。
「………?」
美鷺は朧げに目を開ける。
目に映るのは自分に宛がわれた私室の天井だった。
「………ゆめ…」
撫でた手には温もりが感じられ。
しばらく己の手を見詰め、それからピクリと指先を動かす。妙に感触が残っていた。
何か重要な夢を見た気がする…そう思いながら再び美鷺はもそもそと身じろぎ、掛け布団に顔を埋めて再び眠りについた。
時刻は明けの明星が上り始めたころ。
美鷺は苦渋の面持を浮かべていた。
夢を見ていたのだ。そう、自分が故郷を滅ぼした時の夢を…。
「う……うん……」
もぞり…もぞりと寝具の中で寝返りを打つ。
──…苦しい…!悔しい…!何故一族が滅ぼされなければならない…!!
みんなみんな…滅んでしまえ!!!
我らが苦しみ、無念、世界の苦しみ嘆き、思いしれ!!!
夢の中で美鷺はかつての場面を繰り返していた。
「なんで…なんで…」
目前に迫る敵を薙ぎ払い、己の手には殲滅した敵の血がべったりとこびり付いている。
それは手だけではなかった。薙ぎ払うたびに、切り裂いた敵兵の返り血をそこかしこに浴びていたのだ。
彼女のもつ金の髪や背に生えている3対の翼にも飛沫が飛び散る。
狩っても狩っても迫る残党狩りの敵影。
それを見るなり美鷺は憎しみが増し、負の力を解き放つ。
辺りを焦土と化し、ようやくすべての敵を屠り終えた。
その場で美鷺は座り込み、息を荒げる。
──…苦しい…苦しい…苦しい…!!悔しい…憎い!!
苦しい…辛い…辛いつらいつらいつらい!!!
忘れたい…でも忘れられない…気が狂うことも許されない
忘れたい…忘れたい…忘れたい……!!でもそんなことは許されない!!!
頭を抱え、髪を掻き毟り。しまいに地面を両腕で思い切り。
叫び声を上げながら何度も何度も羽を舞わせながら叩き打つ。
美鷺は夢の中でも苦悶し涙がこぼれていた。
その時だった。そこに見慣れない人物が現れたのは。
故郷が滅びを迎えたあの日には無かったことだった。
その人物の表情は美鷺からは良く見えない。
「……落ち着いて」
もう大丈夫、と言うかのようにその人物…青年は美鷺を真正面から優しく包み込み。
「安心なさい。貴女は一人ではない…」
青年は美鷺に言い聞かせるかのように優しく何度も声をかけた。
「…大丈夫」
「…うっ…ぐすっ」
美鷺はその言葉に安心し一際高く泣き声を上げ。一頻り泣いた後に漸く落ち着きを取り戻した。
「……っはあ…」
泣き腫らした顔を上げる。美鷺の息は荒かった。
無理もない。今まで我慢していた感情が吹き出してしまったのだから。
息を整えると、その人物の胸元に深く項垂れる。
「………貴方は…ダレ?」
そこで再び美鷺は目を覚ました。
窓から陽の光が差し込んでいる。どうやら朝になっていたようだ。
「………」
頭がぼうっとする。
目元に手をやると自身の涙で濡れていた。
「………ゆ…め…」
夢で思い切り泣き叫んだ気がする…そして…
「なにか…大事な夢をみた…ような」
それにしても、優しく宥めてくれたのは誰だろう…。
美鷺は微睡みながらも思案した。だが思い出せない。
「…起きなきゃ」
のそりのそりと起き上がり、寝台のへりに腰掛けた。
夢で相当エネルギーを消耗したのか体がだるい。
未だに朦朧とする思考。窓から零れる日射しを浴びながら美鷺はしばし寛いでいた。
──…コンコン…
控えめなノック音が室内に響く。が、美鷺はまだ寝惚けているのかそれに気付く事なく目を閉じたまま日の光を浴びている。
しばらく経っても反応が返ってこない。
「……」
扉を叩いた人物…。それは教皇だった。
「………?」
美鷺が在室している気配は感じる。だが、一向に返答がない。
倒れでもしているのか?だとすれば面倒な事になる…。
考えあぐね、教皇は様子を伺う為にドアをゆっくりと開けた。
「………ミサギ…?」
名を呼んでも返事はない。だが、気配は確かに在る。部屋を抜け出している訳では無いようだ。だとするとやはり倒れでもしているのか…?と教皇は慎重に、室内へと歩みを進めて行く。
寝室に続く前室には彼女の姿は無く。
「……」
──…小娘は朝が弱いのか?
不審に思いながらも教皇は寝屋へと足を運ぶ。
そこでようやく、目的の人物を見付けたのだった。
「……」
教皇が私室に入ってきたのにも気付かず、問題の彼女は未だ日の光の下で微睡んでいるようで。
「…ミサギ…殿?」
どうしたものかと少々ためらいがちに教皇は美鷺に問いかけた。
その声に反応したのか彼女はゆっくりと彼の方へ顔を向ける。
だがその表情はやはりどこか寝ぼけている様で。
「……」
「………」
美鷺は一向に言葉を発せず、ただ只管彼の方をぼうっと眺めていた。
「…ゆめ…」
不意に、美鷺は口を開いた。
「…夢…とは…?」
突然の独り言に些か困惑した教皇は彼女の次の言葉を促す。
「……永い間見ていなかった…故郷…」
ぼそぼそと言葉を紡ぎ彼女はフフッと笑むと翳りを見せ。
「…なんで今頃…」
もそもそと口を開いて出る言葉は要領を為さない。
それ故に教皇は、まだ寝惚けてるのかと静かに聞き流していた。
教皇が彼女の様子を注視していると、美鷺の目元は濡れている。
「………」
夢で泣いていたのか…?
さて、どうしたものかと教皇は再び長考する。
そこに、窓から差し込む日差しが強くなり。
「…むー……」
眩しそうに目を閉じ、少し不満そうに美鷺は目元をこすった。
「…?」
眩い陽の光を浴びた彼女の髪が、一瞬、金色に見えた。
教皇はより一層彼女の様子を観察する。
美鷺は未だ目元をごしごしとこすり続けていた。
日光が弱まると元の茶色になっている。何の事は無い、光の加減で錯覚しただけのようだった。
彼はそう一人納得した。
「…。……?」
ここで漸く、美鷺は思考もはっきりしてきたのか。
自分の部屋に居る客人に気付いて目が点になっていたのだった。
「……教皇?」
何故、ここにいるのだろう?とでも言いたげな眼差しを彼に向ける。
「…お目覚めになりましたか?」
「…ええ…」
でもなぜ彼がここに居るのか、美鷺には全く理解できなかった。
「ぐっすり寝ておられたのでしょうな。
何度か呼びかけても返事がございませんでした故、
無礼とは知りつつもこうして室内まで参った次第にございます」
教皇は事も無げにそう述べた。
「……そう」
「朝餉の支度が整っておりますゆえ、参りましょう」
寝起き姿を見られて少々ばつが悪い思いをしている美鷺に彼は気にも留めずそう問いかけ手を差し伸べた。
「……その前に」
美鷺はその手を取りながら一つ咳払いをし。
それに応えるかのように彼は次の言葉を待った。
「…支度するから少し寝室から出て欲しいのだけど」
そう呟いた彼女の表情は何処か赤らんでいた。
「これは失礼いたしました。
では、戸外でお待ちしておりますゆえ」
教皇は美鷺の言い分を聞き、あっさりと彼女の手を放し寝室の外へと歩みを進めていった。
ドアの開閉する音が静かに響く。
その音を合図に美鷺は盛大に脱力した。
「…参った…」
よりにもよって、寝起きの素を見られたのだ。
それになにより、寝惚けて何か二言三言呟いた気もする。
「……いついかなる時も、気を緩めるわけにはいかないのに…」
ぶつぶつと自戒を漏らしつつも美鷺は手早く身支度を済ませると教皇の待つ室外へと向かった。
この日美鷺は教皇と共に朝食を済ませ、それからは暫く神殿にこもり
とくに目立った動きを起こすこともなく日がな一日その場で過ごした。
聖域に連れてこられた当日に辺りを見回り、聖域側の聖闘士と思しき人物に出くわしてしまったのだ。
翌日になってまた誰かに見つかってしまう恐れもあるため安全策として出歩くのを控えた。
そして、教皇の監視の目もある。
教皇は神殿に訪れては他愛無い話を交えつつ一定の時間、その場に滞在するのであった。
形ばかりの謁見。
無理もない。13年もの間顔を合わせていなかったのだから。
むしろ、お互いに監視という目的がある以上、よそよそしく見えるのは必然といった所か。
その後また二人で、静かに昼食を摂る。
それからは教皇は瞑想に入るとのことで教皇の間に籠っていた。
監視の目がなくなった今が敵情視察のチャンスではあるが、
あの教皇の事だ、油断はできない。
──…今日は本当に、大人しくしていよう。
美鷺はふう…とため息を一つ漏らすと暫く教皇の間の外から神殿に続く廊下で教皇の間の気配を探る。
…そこからはとくに邪悪な気配を感じる事もなかった。
「…一体何を瞑想しているのかしら」
そもそも、アテナを…沙織をどう連れてくるつもりなのかしらね?
美鷺は手を顎にあて暫く考えながら廊下を後にした。
それからまた時間は何事もなく過ぎ去りその晩も静かに二人だけの会食が続く。
まるで離れていた13年間の月日を埋めるかのように振る舞う教皇に些か美鷺は眉をひそめた。
──…一体何を考えているのかしら。
黙々と食事を進めながら美鷺は表情に出さないように細心の注意を払いつつ考える。
だが、考えても考えても答えに辿り着くことはできない。
──…まあ、今すぐに判ったら苦労はしないか…
他愛無い会話に笑顔で反応を返しながら美鷺は一先ず、食事を終えることに専念する。
食事を済ますと昨夜と同様に湯浴みを勧められ、その後は自室へと美鷺は戻された。
夜も更けたころ。
寝ずの番で聖域各所で見張りを行っている雑兵以外、寝静まった時刻。
美鷺の私室の扉の前に一つの影があった。
ゆったりとしたローブに身にを包み、豊かな金髪を持つ人物がそっと佇んでいた。
そのローブは教皇がふだん纏っている物にとてもよく似ている。
だがこの人物は、教皇が被っているマスクをしていない。
彼女の部屋に入るのをためらうかのように戸外で立ち尽くしていたがやがてどこかへと去って行った。
美鷺はそのことに気付くこともなく深い深い夢の中に居た。
そう、故郷を失くしたあの時の夢を。
夢の中で美鷺はまた、本来の姿に戻っていた。
だが、この日は昨夜見た夢の続きがあった。
優しく気を静めてくれた人物。
それは金色の髪を持つ、端正な面立ちの青年。
何処となく神々しいその人物は、13年前に一度だけ美鷺と会い見えた少年に面差しが似ていた。
「…貴方は…?」
「………」
その人物は悲しげに微笑むと、美鷺を優しく抱きしめ眠りを誘うかのように背を撫でる。
夢の中で戦に奔走し、延々と敵を狩り続け錯乱状態に陥りそうになっていた美鷺だったが、いつしか平静を取り戻し始め。彼女の姿は人として…否、沙織の姉としてのそれに戻っていた。
「…貴女は一人ではない」
嘆き悲しむことはない
そう言い残してその人物の姿が消えた。
と、同時に美鷺は悪夢を見ることなく眠りについたのだった。
移転前初出:2015年8月9日
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