第七話 思惑

──…小娘め…一体何をたくらんでいる?
教皇は歩みを進めながら、美鷺に宛がった一室に向かう。
いつの間に、彼女は教皇の間を通らず外へ抜け出したのか。
教皇には知る術がなかった。
──下手に動かれては都合が悪い。いっその事部屋に閉じ込めてしまうか…?
歩きながら、彼は物騒な考えに走り出しつつあった。
「…ッ!!」
ズキンッ!!っと、その奸智術数を諌めるかのように頭に鋭い痛みが走る。
「…おのれ…まだ邪魔立てするか…」
教皇は忌々しげにそう呟くと頭痛はさらに激しくなり。
額に手を当てその場で立ち止まった。

 幸いな事に、この場所は教皇の間最奥。
滅多に人はやって来ない。彼の側近もおいそれとは入ってこられない場所だ。
「う、うう…黙れッ…」
息が荒くなりつつも教皇はじわりじわりと、美鷺に宛がった部屋へと近付く。
部屋の中に美鷺が居なければ、アフロディーテが出会った迷子は十中八九、彼女だろう。
アフロディーテやデスマスクには見られはしたが、要は他の聖闘士に美鷺を見せなければ良いのだ。
軟禁…という単語が彼の脳裏を過った。
その瞬間、今までで一番の痛みが頭に走る。
「…ぐっ」
おのれ…

そう呟いたかと思うと教皇は息を整え、しばらく立ち止まった後。
再び歩き出し目の前にある扉に手を掛けた。

 コンコン…
いきなり扉を開ける事も考えたが、もし部屋にいたらば気まずい。
念のため、教皇は控えめにドアをノックする。

「…………はい?」
室内から声が聞こえた。美鷺だ。
「……」
──…部屋にいる、だと…?
教皇は予想外の事態に一瞬戸惑った。

ロドリオ村まで外に出ているならば、今の時間にはこの場所に居られる訳がない。
そう思っていたからだ。

ガチャリ…と扉が音を静かにあげて開く。するとそこには美鷺が居て。
「…教皇?何か…?」
彼女は不思議そうに彼を眺め、首を傾げていた。
「……」
──…アフロディーテが言っていた迷子はミサギではないと…?
不思議そうに教皇を見詰めている美鷺の顔を見て教皇はふと思い出した。
13年前の事を。幼い姿をした彼女は難なく宙を舞ったことを…。
──…いや、まさかな…。
だが、もし今でもそれが出来るのであれば軟禁など無意味。
折を見て、ミサギが不可思議な術を使えるのかどうか確かめる必要がある…
等と考えを巡らせている教皇になお一層の事美鷺は首を傾げた。
「教皇?」
再度美鷺に問われ、教皇は一旦考えることをやめ、この場を取り繕うことに着手した。
「…何かあったの?息が荒いようだけどどこか具合でも…?」
少々心配になった美鷺は教皇に近寄り手を伸ばし。
マスクで表情が伺い知れない目の前の男の手を軽く握った。
教皇は長身であるがゆえに、美鷺は彼を見上げる形になる。

手を取られた教皇は、さてどうしたものかと思い悩んだ。
振り払う事は造作もない。しかし、何故だかそうする気にはなれずにいた。
「…いえ。ご心配には及びません。
…夕餉の用意が整いましたのでご案内いたします」
さあ、参りましょう…
そう言い教皇は美鷺の背に手を宛がい、食事が準備されている部屋へと誘った。

 通された部屋には教皇と美鷺以外には誰もおらず。食卓にはギリシア料理が並んでいた。
二人だけの静かな食事。ナイフとフォークの音が広い室内にカチャリと響く。

食事を摂りながら美鷺は、教皇が訪れたタイミングの良さに内心焦りを感じていた。
彼がやってきたのが、美鷺が私室に戻ってから数分後の出来事であったからだ。
──…空を駆けていなければ到底、間に合わなかったわね…
いつかきっと…術を使っている姿を目撃されるだろう。

文献には守護者についての詳細は無いはずだ。
ただ、『守護者が居る』とだけしか無い筈。
詳細を記載されていたらこの能力を悪用とする輩が居てもおかしくはない。
それは避けねばならない。
…現に、目の前のこの男は女神に手を掛けようとしていた人物のはずだ。

──…どの辺りまで力を使って良いものか悩むわね
美鷺は、食後のデザートのシコ・グリコ…イチジクのシロップ漬けを口に運びながら
平静を装いつつも暗中模索した。
「…ご馳走様でした」
一通り食べ終えた美鷺は柔らかな笑みを教皇に向けた。
「…お口に合いましたでしょうか?」
「ええ、とても美味しかったですわ」
「それはようございました」
お互い和やかに会話を続けてはいるが、教皇は美鷺の様子をそれとなく監視していた。
いつ、不可思議な技を使うかわからない。
いつ、部屋から抜け出すかわからない。
いつ、他の聖闘士に姿をさらすか分からない。
彼女に気付かれずに手中に収めることが出来ぬものか…
等と考えていた。

だが。美鷺も教皇の出方を伺っていた。
柔和な笑みを浮かべはしたが、その笑みの下では冷静さを忘れずにいた。
一見穏やかそうに見えて時折見せる挙動の不審さ。そして小宇宙の揺らぎ。
時々彼の息が荒くなっているのとも関係があるのかもしれない。
──…どんな人なのかしら…。
マスクの下にある素顔を一度見てみたいものね。
なかなか、ガードが堅そうではあるけれども。

小宇宙が揺らいだ時に感じるそれはどこか懐かしい。
そう、13年前に一度会った少年に雰囲気が似ている。
彼は金髪だった。だが目の前の男は黒髪だ。
「では、そろそろ湯浴みをされてはいかがでしょう?」
長旅の疲れをお癒し下さい…
教皇は、湯殿までの案内を買って出た。
「あら。では、お言葉に甘えさせていただきますわ」
美鷺は彼の提案に乗り、教皇宮にある沐浴場へと向かっていった。

 湯殿の脱衣所には、女官風の装束が一組置かれていた。
考えてみれば、急に連れてこられたものだから手持ちの着替えが一つもないのだった。
美鷺は『用意が良い事で…』と、妙に感心してしまう。

しばらく湯殿でくつろいだ後、用意された服に美鷺は袖を通してみる。
どうやらイオニア式キトンを模しているようだ。
ご丁寧にヒマティオンまである。
「……この服だと空を飛びにくいわね」
一通り着付けてみて美鷺は独り言ちた。

教皇の間や私室、アテナ神殿ではこの服でもいいだろう。
しかし、散策するときはそうもいっていられない。
この服で空を駆けるのは人目を引きそうである。
…まあ、どの服装でも人目に付くではあろうが。

「…やっぱり、私服…もう少し欲しいところね…」
私室に戻り夜も更けた頃に、どうにか手段を講じよう。

美鷺はそう策を練ると沐浴場を後にした。

 夜の帳も下り暫く経った頃。
美鷺は部屋を抜け出し、アテナ神殿へ続く道へと出た。
そのまま神殿には行かず少し寄り道をする。
少し歩いた先に草むらがあり、そこに腰を下ろす。
月明かりが辺りを照らしていた。

「……」
沙織は無事だろうか…。
星矢たちが傍についているから大丈夫だとは思いたい。

月光に照らされながら。
眼下に広がる聖域を眺めながら美鷺は、
日本にいる女神を思い物憂げに目を伏せた。

今回の聖域の…聖闘士を統括する者から発した乱は、沙織がアテナとしての最初の試練になるだろう。
どのような逆境に立たされるかも今の時点では朧げにしか判らない。
無論、星矢たち青銅聖闘士にとっても、聖域に居る聖闘士全てにおいても過酷な試練になるであろう。

では、自分はどうだろうか。
自分自身に関するビジョンが一向に見えないのだ。
「…。とりあえず、遣いは出しておくに限るわね」
美鷺はそう言うと、手先に意識を集中させる。

するとそこに現れたのは1羽の白い鳥だった。
「オヨビデショウカ、マスター」
「日本に居る沙織に伝言を。私は無事だと」
そして…予定通り、敵情視察に入る。

それから美鷺は鳥の足元に伝書鳩のように手紙を備え付けた。
「ギョイ」
そう言うと使い魔は空を高く舞い、次の瞬間にはその場から消えていた。

「……」
愁いを帯びた眼差しで、寝静まった聖域を美鷺は眺める。

争い事…特に、同族同士の争いが一番嫌いな自分が渦中の真っ只中にいる。
故郷でのトラウマが夢にまで現れそうだ…と、美鷺は憂鬱になっていた。
ちらり…と、教皇宮に視線を向ける。
13年間聖域を束ねた男。アテナに反旗を翻したであろうその人物の居室。
「…はあ」
美鷺は深くため息をついた。

 長きにわたって、女神の地上降臨に付き添ってきた。
未だに、神も人もそう捨てたものではないという事を実感出来ていない。
…人間として今回暮らしてみて、少しは人というものに関しては実感できたような気もするが。
「…部屋に戻ろ…」
──此度の降臨では実現させてみたいものね…
しばし目を閉じ、そう願いながら美鷺は私室へと歩みを進めていった。

 時を同じくして。
教皇宮から神殿へと続く道にて美鷺の様子を伺っている者が居た。
「………」
ミサギはここで一体何を…?

彼女がちらりと教皇の間の方角へと顔を向けたのが見える。
視線でも感じたのだろうか?

かさばる法衣をそっと翻しその人物…教皇はより一層、自身の気配を殺した。

彼は、湯殿から戻ったであろう彼女の様子を伺おうと
執務を終えてから私室に足を運んでみたが美鷺は不在だった為探しに来ていたのだった。
──…小娘は一体何をしているのだ
「…黙れ。お前は出てくるな」
──何を言っている。私とお前は一心同体だ
「黙れ」
──ククク…あまり声を荒げるな。小娘が気付くぞ?
「くっ…」
教皇は何処からともなく聞こえる声に呼応するかのように息を荒げていた。
小宇宙を絶ち気配を消すのが難しくなり。
教皇は美鷺を待つのをやめ、自室へと戻っていった。

マスクから零れ落ちる豊かな髪…それは黒髪ではなく金色であった…。

 私室に戻ってから美鷺はベッドに横たわり、明日以降の事を考えていた。
夕方頃にタイミング良く私室を訪ねてきた教皇の事だ。
勘は鋭いようだ。

13年間聖域を治められるほどの手腕の持ち主だ。
勘も優れていて違いあるまい。

なればこそ、散策するにも十分注意を払わなければいけない。
「…どうしたものかしら…ね」
ふう…と美鷺はため息を漏らした。

私服も調達せねばならない。
遣いは出した。あとは城戸邸から使いが戻る時に何着か持ち戻ってくれば何とか過ごせるだろう。
服は、教皇に見つからぬようにどこかに保管しておけばよい。
……使い魔が戻ってくるには1日程を目途に考えておけば十分だろう。

そして。探索中に部屋がもぬけの殻、神殿にもいないという時間は極力避けたほうが無難だ。
不在がちにして怪しまれては、身動きが取り難くなる。
勘の良い教皇にどこまで気付かれずに動けるか…
「……なかなか…手強い…わね…」
さすがは教皇の職を務められる人物…といった所か…

美鷺は思案しながら、いつの間にか夢うつつに微睡み始めていた。

移転前初出:2015年6月14日

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