第六話 謎

──今のは明らかに様子がおかしかったわよね…?
美鷺は、謎の行動をとった教皇を名乗る人物に誘われるがまま、教皇の間
奥にある、嘗て自分が使用していた部屋へと通された。

調度品は当時のまま、とは言い難いが。
寝台や椅子が成人サイズに替わっていたり…。
──用意周到、といったところかしら…?
わざわざ家具を変えている辺り。もしくは、自分の記憶違いで
前聖戦の時に、地上を去るまでの間に使用していたままなのだろうか?

若干の違和感を覚え、美鷺は入り口でしばし固まったかのように動かなくなった。

「…守護者殿?」
戸口で立ち止まったままの美鷺を見て教皇は彼女の方へと向き直る。
それに美鷺ははっとし、深く考えるのは一人になってからにしようと思い直し。
「……ここは?」
努めて平静を装い、室内に入り辺りを見回した。
「こちらが、守護者殿に滞在していただく私室になります。
何か足りないものがございましたらお申し付けください」
「…私室…。
あの…教皇…?」
美鷺は、今すぐにでも部屋を辞そうとしている男に呼びかけ。
それに反応し彼は立ち止り。ゆっくりと振り返った。
「…何で御座いましょう?」
「あの…。守護者殿、って呼び方の事なんだけど…」
「……?」
何か不都合でも?とでも言わんばかりに男は少し首を傾け、彼女の次の言葉を待った。
「…日本では普通に名前で呼ばれていたから、
私の事は名前で呼んでほしいのだけど」
日本にいたのを知っているのならば、名前も分かるはずよね?
「だから、美鷺と呼んで頂けないかしら?」
と、美鷺は率直に。目前にいる男に願い出た。
「しかし…」
男は美鷺の提案に難色を示した。仮面越しにではあるが、彼女の申し出に
些か困惑しているようでもある。
「…だめ?
守護者って言われるの慣れてなくてむず痒いのだけど…」
美鷺は眉尻を下げ困ったようなそぶりを見せ。
城戸邸では普通に名前で呼ばれていたのもあり、久方ぶりの畏まった対応に
少々居心地が悪い。

 今までの聖戦に伴う降臨の際も、呼び名はほぼ名前で通していたのもあり。
『守護者』と呼ぶものはほんの一部だった。
それゆえ、どうしても面映ゆく感じてしまうのである。

──どうしても難しいのであれば、守護者でもいいけど…
美鷺は伏し目がちに。嘆息を漏らしつつぽそりと呟いた。
「……」
その様子を見て教皇はしばし沈黙し。
荘厳なマスクに遮られて表情は窺い知れないが、どうしたものかと
知慮をめぐらしているようだ。
そして。ふう…とため息をつき。
「…かしこまりました。では、貴女の仰せの通りに…」
根負けしたかのように教皇は美鷺に向き直り頭を垂れる。
「ありがとう、とても助かるわ」
彼の承諾を得て、美鷺はふわりと微笑んだ。
「では、私はこれで…。
ごゆっくりお寛ぎ下さい」
そう言い置いて教皇は、マスクから零れ落ちんばかりの長髪を靡かせながら部屋を退室していった。

 …彼のそれは艶やかな黒髪だった。

──…黒髪、か…。
美鷺は、教皇の背を見送りながら思案していた。
──…金色の髪であれば、あの時出会った彼かと思ったけれども。
「別人…なのかしら。でも…」
どうにもこうにも、今の教皇に既視感があり。美鷺はそれを拭い去る事が出来ない。
「…。色々と調べる必要がありそうね」
不在にいしていた13年間分の聖域の記録を。
「…まだ陽は高いし、辺りを散策してみようかしら」
そうと決まれば、と。
美鷺は誰にも見つからないように私室を抜け出し、気配を絶ちながら徐に足を進めていた。

 今までの降臨で培った土地勘を活かし、教皇の間を通らずに道なき道を美鷺は突き進む。
時には宙を舞い。高低差のある地形をものともせず要所要所を巡っていた。

聖域といえども、そこに住まう土地の精霊は存在する。
女神に仇なすものは居ない。が、普段は姿を見せない彼らの存在を知るものは
聖域に住む者たちの中にはいないだろう。
文献にも彼等については記載はされていないはずだ。

各所に散らばるその精霊達の元を巡り、13年分の記憶を分けて貰い
聖域では何が起こっているのかを知ろうと美鷺は考え。
こうして歩みを進めているのだが…。

 精霊たちは自由に動けるわけではない。
棲んでいる地域のみしか存在できない。
その為、分けてもらえる記憶は限定的なものになる。
肝心要な教皇の正体については皆一様に知らないようだった。
だが…。

ここ数年で聖域に異変が起き始めているのは確かなようで。
まれに、教皇の側近の死骸が聖域の外れに打ち捨てられていたり、
極僅かではあるが教皇に不信感を抱いている者もいるようだ。

「…13年の間一応問題なく聖域は機能していたようね…
その手腕は大した物だわ…」
教皇の間に居るであろうその人物を思い浮かべながら美鷺は独り言ちた。
ただ、最近になって側近の不審死が相次いでいるのが気になる。
「…沙織が来るまでの間にそれとなく調査を重ねるしかないわね」
美鷺はほんの少しため息を漏らすと聖域の奥へと歩みをさらに進めた。

 暫く進むと開けた場所に辿り着き。
「……見事な薔薇がたくさん…」
美鷺は一瞬で目を奪われた。
そこには様々な薔薇が咲き誇っていた。
「…いい香り」
花弁に顔を寄せ深呼吸をし。薔薇の香気を楽しみ目を細める。

聖域の中でもだいぶ外れの方に来たと思っていたが、薔薇園があるのは
美鷺も予想外だった。
「今までの降臨では見かけなかったけど、昔からあったのかしら…」
それにしても見事な薔薇だ。
美鷺は感嘆をほう…と漏らす。
「…もう少しここで足を止めようかしら」
可憐な花を愛でながら美鷺は辺りを見渡し。どこまでも続くその風景を
眺めいつの間にか口元には笑みがこぼれていた。

 その様を遠くから眺めている者が居た。美鷺はそれに気づかないまま
変わらず、薔薇の香気を楽しんでいる。

「…おや…」
──この辺りでは見かけない子が居る。こんな所に迷子だろうか?
容姿端麗な長身のその人物は暫く声を掛けずに気配を消して、
その様子を眺めていた。
そこへ…
「あ?何やってんだお前…?」
「…君にお前と言われる筋合いはない」
突然現れた男にその人は憮然とした態度で答え、静かにしろと
言わんばかりに自分の口元に指をあて。
「あ?なんだよ…」
対する男は言われるがままに声を潜め、彼と同じく身を潜め
ある方角を見やった。
「…見かけない顔だな」
「…だろう?」
さて、どうしたものかと麗人は現状を打開しようと模索し始めたが
それよりも早く男は動いた。
ガサガサと薔薇を掻き分けズンズンと足を進めていく。
「あっ、おい…!」
麗人は、はあ…とため息をつくと男の後を追い。

 薔薇の茂みを掻き分けて誰かがやってくるのに気付いた美鷺は
しまった…!と思った。
誰にも見つからないように散策していたのだが、
聖域からはだいぶ離れた所故少し立ち止まったのが仇となったか。
こんな外れに人が来るとは想定外であった。

「よお、お嬢さん。
こんなところで何やってんだ?迷子か?」
背の高い、白銀の髪にピジョンブラッドの瞳色を持つ男に美鷺は声を掛けられてしまっていた。
──…さて、どうすべきか…
美鷺は数秒身動きが取れないでいた。
先ほどまで人の気配を感じなかった。という事は、この二人は
一般人ではないだろう。
ましてやここは聖域。聖闘士の総本山。大方、敵だろう。
下手に正体がばれる訳にはいかない。

──…この場は、一般人として振る舞うか…
美鷺は深謀遠慮を巡らし。
「散歩していたら綺麗な薔薇がたくさん咲いていたから…
ここはどこでしょう?」
私有地か何かでしたかしら?と言いながら小首を傾げた。
「ここは一応私有地、になるのかな。
本来は関係者以外立ち入り禁止区域なんだよ」
麗人はやんわりと美鷺の問いに答えた。
「まあ、そうでしたの…。では私、ここから出ないといけませんわね」
もう少し薔薇を愛でていたかった…と後ろ髪を引かれる素振りを見せ、美鷺は心底残念そうに呟いた。
「へ―…。あんた、薔薇が好きなのか。
良かったなアフロディーテ」
このお嬢さん、お前の薔薇が相当お気に召したらしいぜ?
白銀の髪を持つ男はニヤッと笑み。豊かな金髪、泣き黒子を持つ麗人に呼びかけた。
「まあ、この薔薇は貴方が育てていらっしゃるの?」
美鷺は、アフロディーテと呼ばれた人物に向き直った。
「薔薇は育てるのがとても難しいのに…。腕が良いのですね…」
「お褒めに預かり光栄です」
にこり、とアフロディーテは笑んだ。
「またここの薔薇を愛でに来たい所だけど、立ち入り禁止区域なら仕方がありませんわね……。
そろそろ帰りま…」
「折角だ、もう少し見てきゃ良い」
その場を後にしようと美鷺が別れの挨拶をしようと語りだしたのを遮るように男は彼女を引き留めた。
「……は?デスマスク、いきなり何を」
アフロディーテは額に手をあて軽くため息をもらす。
それにより白銀の髪を持つ男はデスマスクという名なのだと美鷺は知った。
「なんだよ。
ここの薔薇をもう見る機会がないなら、今日位見させてやったらどうだ?」
どうせここは滅多に人が来ねーしな。

デスマスクはそう言って肩を竦め。
「確かに人は滅多に来ないが……誰かに見られたら……」
アフロディーテはデスマスクを咎めようとしたが、気を取り直し。
「……そうだね。迷子を保護したのを咎める者は居ないだろう。
後で送っていくからもう少し見ていくと良いよ」
アフロディーテは柔らかな笑みを美鷺に見せた。

美鷺は『迷子』という言葉に、自分は土地勘があるから迷子等ではないのだがと内心眉根を寄せたが、
一般人を装っているのだ。仕方ないと思い直し
「すみません、ではお言葉に甘えて……」
彼等の提案を受け入れた。

名を聞かれたらどうしようかと考えもしたが、その時はその時。下手な小細工は無用と美鷺は考えた。

 それから数十分程美鷺は見事に咲き誇る薔薇を堪能し。
とくに名を聞かれることもなく時間は過ぎていた。
只の旅行者か何かと思われたのだろう。行きずりの者の名を訪ねる必要はないと判断されたのかもしれない。それは美鷺にとってとても都合が良かった。
暫く薔薇について談笑した後、美鷺はアフロディーテに送られて聖域に近い村の入り口に辿り着いた。

──……さて。私室からだいぶ離れてしまったわね。帰るのが大変だわ。

自分で蒔いた種ではあるが仕方ない。
美鷺はアフロディーテに礼を述べると、彼は聖域に帰っていった。

 彼女はアフロディーテの背を見送りつつ、聖域の中でも再奥にある私室に戻るタイミングを計る。
高低差により徒歩で進むとかなりの距離がある聖域。今から歩いて私室まで戻るとなると相当な時間がかかる。下手をしたら夜中になってしまうかもしれない。
夜も遅くまで私室をもぬけの殻にするわけにもいかない。
なぜならば、教皇が様子を見にやってくるかもしれないからだ。
抜け出しているのを悟られないようにするには夕方前には私室に戻っていたいところだ。
だが、事を急いて聖域内を飛行しているのを誰かに目撃されたら色々と面倒な事になる。
「…ああ、あそこからならなんとか…」
確か、慰霊地の方は人は滅多に寄らないか…?
美鷺は墓地の方角を思い出し。
村の入り口からしばらく歩き遠ざかると墓地を目指して宙を舞い。
数多の聖闘士が眠る慰霊地から教皇の間奥の私室へと、気配を消して戻って行った。

 美鷺が空を駆けて私室に戻ったちょうどそのこ頃。
「…おお、アフロディーテではないか」
「これは教皇…」
聖域そばの村から戻り、アフロディーテは十二宮を自分の守護する宮まで上り帰宮し
教皇の間から表に出ていた教皇と鉢合わせていた。
「お珍しいですね。貴方が外に出ているのは」
「…少々用があってな」
アフロディーテは率直に教皇に問いかけると彼は事も無げに答え。
「アフロディーテは外出先からの戻りか?」
こちらも同じように彼に問いかけた。
「はい。私の管理する薔薇園に迷子が居りましたゆえ」
村まで送り届けてきたところなのですよ

と、アフロディーテは教皇の問いかけににこやかに答えた。
「迷子…とな?」
話してみよ?
といった風情で教皇は彼に問うた。
「ええ。どこをどう迷ったのか…それなりに標高が高いところに居りましたゆえ。
デモンローズとは違う通常の薔薇の咲く園ではありましたが」
そこに偶然、デスマスクも居合わせたのですけどね?
クスクスとアフロディーテは思い出しながら笑みを見せ。
「この辺りでは見かけない顔でしたので、旅行者かと思い名は聞いては居りませんが。
年の頃は18ぐらいに見える少々華奢な、茶色い髪とダークブラウンの瞳を持つ女性でした」
腰のあたりまで手入れの行き届いた長い髪の。
上質そうなスーツに身を包むその女性は育ちがとても良いように見えましたよ。
「…ほう?」
彼から聞かされた迷子の特徴に教皇は覚えがあった。
マスクにより彼の表情はアフロディーテからは見えない。
教皇はアフロディーテに悟られないように平静を装った。
「薔薇が大層好きなようで。花に惹かれて迷い込んだようですよ?」
クスクスと上機嫌でアフロディーテは言葉尻を終えた。
アフロディーテがこんなにも機嫌が良いのは薔薇を褒められでもしたのだろうと教皇は思った。
「そうか…。
アフロディーテよ。報告、ご苦労であった」
「では私はこれで」
アフロディーテは教皇に対し恭しく頭を垂れると、自宮へと帰還していった。

「………」
教皇はしばしその場で立ち止まり思考を整理し始めそして…
「小娘め…」
ぼそりと呟くと、教皇の間最奥にある守護者の私室の方へとそのまま歩みを進めていった。

移転前初出:2015年2月14日

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