飛ばされたはいいものの…。ここは何処だろうか。
私は途方に暮れるしかなかった。
辺りは木々が色鮮やかに艶めき、木の実などもたわわに実っている。
比較的に穏やかな気候のようだ。…この場所は、だが。
遠くに目を凝らせば。一山ほどか。先の方で煙がくすぶっているのが見える。
そう、戦火で見るあれだ。
「…嫌な予感しかしないんですが…」
元居た世界に還れるすべも今は無いのだ。
嫌悪感はありつつも、現状を把握するべく場所を移そうと思った矢先だった。
「そこにおるのは誰か」
重々しい声音で語りかけてくる何かが居た。
…見た目は、髭をたわわに生やした紳士といったところか?
その背後には、何名か控えているようだった。
「まさか、ティターン神族ではないでしょうね?」
背後にいる女性が殺気を込めた口調で問いかけてくる。
『神族』…嫌な響きだ。吐き気がする。
忌々しい気持ちを無理やり内に押し込め
「ティターン?聞いたことないんですが。そもそもここは何処ですか」
さっぱり意味が分からない、といった素振りで問いかけに美鷺は答えた。
その態度が癪に障ったのか、問うた人は語気を荒げ
「おのれ…怪しい女め!」
怒気を顕わにし、ずいっ、と美鷺に一歩近付こうとしたその時。
「まあ待て、ヘラ…。
この者、みたところティターンのような巨神でも無いようだ。小宇宙もあまり感じられぬ。
そう声を荒げては話が進まぬ」
そう言い、髭をたたえた紳士は彼女の行動を諌めた。
「…ゼウスがそう言うのであれば…」
ヘラと呼ばれた女性は相変わらず、冷ややかな視線で美鷺を睨み付けるにとどまった。
「それに、ティターンと我等オリンポス神族が戦をしている以上、
たとえティターン出自の者でも名乗りはすまいよ」
ゼウスの背後に控えていた黒髪の青年が徐に口を開いた。
──ここでも争いが絶えないのか。どいつもこいつも…
美鷺は、黒髪をもつ神の発言を聞いて苦虫を噛み潰したかのような表情をし
「……どこもかしこも争いばっかり。忌々しい…」
つい、本音をポロリと呟いた。
──しかも、ここは神々同士の争いだとか。
「大義名分を掲げた戦が一番嫌いだわ…特に同族同士のは」
虫唾が走る。
ふいっ、と。美鷺は彼らに背を向け立ち去ろうとした。
「まあ待ちなさい。戦が嫌いなのであれば我等オリンポスの元に
身を寄せなさい。さすれば、貴方に害は及ばない」
去ろうとする彼女をゼウスは呼び止め。
「オリンポスに来て我が娘と話をするとよい。
あれは我が娘ながら知略知慮に長けている。器量も良い。
其方が本当に我等の敵でないのであれば、ここの現状を知る機会にもなると思うが?」
と提案を投げかけた。
美鷺にとっては、ここの現状を知る好機。だがしかし…
──…ある意味監視…ってことじゃないか
でも、確かに。世界の見聞を広めるために(有無を言わさぬ形ではあるが)旅に出たのだ。
ここの状態を知らなければならない。その気持ちに偽りは彼女にはなかった。
「……判りました。あなた方の所に身を置きます」
踵を返す状態のままでいた美鷺は、渋々とゼウスの提案に乗ることになり、
「……その場所までお連れ願います」
くるり、と、身を翻し。オリンポスの神々の目前に立つと頭を垂れた。
「そう畏まらずとも良い。して、ハーデスも問うておったが其方の名はなんというのだ?」
人の良さそうな笑みを浮かべたその神は至極もっともな問いを投げかける。
──そういえばまだ名乗ってなかったな。
そして、あの長い濡れ羽色の髪を持つ神はハーデスというのか。
ふと、そう思い。でも、簡単に名乗ってもいいものか…
──偽名…いや。でもな…。真名は誰にも言いたくはない…。
名は何というのか問われて長考しだした彼女を見てその紳士は朗らかに笑み
「なに。名を聞いて無理やり誓約や契約を取り付けるつもりは毛頭無い。
安心するが良いぞ?」
そう言い置いて。さあ、と促すかのように手を差し伸べた。
──そこまで言われては名乗るしかあるまい。
「……美鷺」
「美鷺。では我等の後について参れ」
「…畏まりました」
こうして、美鷺はオリンポスの神々の元に下ることになった。
彼等の後に付き、その神々の領地内にある神域を目指し歩みを進めると
所々で戦禍の跡が見て取れる。とても酷い有様だった。
「………」
美鷺は思わず渋面を作った。
脳裏に、自分の世界でのあの場面が浮かぶからだ。
早くここから立ち去りたい。立ち去りたい。早く…!見たくない…!
思わず叫びたくなる程だった。
──早く…!早く!一刻も早くここから…!!
徐々に美鷺の呼吸は荒くなっていた。
「……。其方、本当に戦が嫌いなのだな。
何かトラウマでもあるのだろうが…安心しろ。
もう目前にはオリンポスが見えている」
オリンポスの神々の行軍の中で最後尾にいたハーデスは彼女の様子に気付き
そっと声をかけた。
言われて目線を上げれば、そこに広がるのは神聖な輝きを放つ空間。
荘厳な装飾が施された建物の数々。
所謂、神域だ。
──…この、いかにも神の領域、といった風情は何処も似ているのだろうな
美鷺は率直にそう思うのと同時に、漸く、自分が一番嫌いな場所からは脱する事が出来たことに
気付き天を仰いで嘆息をした。
その直後。
「さて…」
徐にゼウスが次の言葉を紡ぐ。
「オリンポスに着いた。ティタノマキア終結後の取決めにより、
儂は天上を。ポセイドンは海界を、ハーデスは冥府を統べる。
よって、ポセイドンは海界へ、ハーデスは冥府…ヘスペリデスの先へ…良いな?」
主神はこの儂である、と言わんが如く威風堂々と言い放った。
「わかっておりますよ。貴方にはクロノスの腹から助けて頂いた恩もありますからね」
ポセイドンと呼ばれた青年は海に向かい消えていった。
「……。美鷺、息災でな」
そう言い残し、ハーデスは冥府の奥地にある、自身の新たな居城へと向かうためその場を立ち去って行った。
「さて。美鷺よ。オリンポスへようこそ。
これから我が娘の場所に向かうが…それで良いな?」
「…仰せのままに」
我が身を気にかけてくれたハーデスのことが幾許かは気になりはしたが
当初の目的を果たすために、気を取り直しゼウスの後に続き歩みを進めた。
「…おお、ここに居ったか、アテナよ」
しばらく歩みを進め、立ち止まった先にいたのは鎧で身を覆っている女性。
長く美しい髪を揺らしながら
「あら。お父様。争い事は終結しましたのね?」
アテナは父の居る方へ振り向く。と、そこに見慣れぬ女性がいたので怪訝そうな顔をした。
「そちらの方は?見たところ小宇宙はあまり感じられないようですが…」
神族ですの?
と言わんばかりにゼウスに疑問を投げかけた。
「いや、何。ティターンとの戦場の境目に居ったのでな。
彼奴等の手の者でもなく、また、戦を憎んでいるようだ。
小宇宙とは違う何かを感じるのでここへ連れてきたまでの事」
「…そういえば、ヘラはいらっしゃらないのです?共に戦場にお出になったのでは?」
「彼女は先に自身の宮へ戻った。儂はこの者を、お前の話し相手にしようと思ってな。
この娘、儂等もティターンも知らぬようだ。それでいて神々に近しいようにも思える。
そこで、だ…」
ゼウスは声を潜め、女神に
「お前が彼女と話をし、何者か探り出せ」
と耳打ちした。
「…アテナ。お前の知略知慮であれば容易いであろう?」
「…お父様のお言い付けであれば仕方がありませんわね。判りました」
女神は、はあ…と一つ溜息を洩らした。
とりあえず、この女性を主神の魔の手とヘラの嫉妬から守らねばなりませんわね。
と、父に聞こえないようにぽそりと呟いた。
その間、美鷺は彼等の密談からは置いてきぼり状態だったので辺りを見回していた。
神域以外の場所はあちこちで戦禍の跡がうかがえる。
──ほんと、どこも対して変わらないのね。
神々同士で争い、か…。天が乱れれば地も乱れるだろうに。
「ほんと、馬鹿馬鹿しい…」
美鷺はぽそりと呟いた。
「何がですの?」
いつの間にか美鷺のそばにはアテナが来ていた。
辺りを見渡せばゼウスはいない。大方、自分の宮へ戻ったといったところか。
「まだ、貴方の名前を聞いていませんでしたね。
名は何と?」
「……美鷺」
「では、美鷺。
何が馬鹿馬鹿しいのです?」
話せば楽になることもありますのよ?と彼女は微笑んだ。
「………」
一体全体、どうしたものか。
まさか、つい出た本音を聞かれていたとは。
美鷺はばつが悪そうに額に手を付いた。
はー……と長く息を吐き。
出会ったばかりの者に話すべきか話さぬべきか。
困ったことに、この女神はなかなか頑固なようで。
とにかく、何か話を聞かないことには梃子でもここをうごく気がないようにも見える。
「…戦争が、ですよ。
詳しくは聞いてませんけども、神々同士の争いなのでしょう?
いわば同族同士の争い。これほど馬鹿馬鹿しいことはないと思いますがね」
忌々しげにそうつぶやき、美鷺は長嘆を漏らしそして。額から降ろした手が微かに震えていた。
「……余程の事情があったようですが…貴方はどちらからいらしたの?」
小宇宙とは違う何かは感じるが、神族とも魔とも思えない。
となれば、自身が住まうオリンポスや、太古の神々が治めていた世界の出自でもなさそうだ。
アテナはそう考え、単刀直入に切り出した。
「……。いきなりそうきますか」
「ええ…。だって、その方が美鷺について良く知る事が出来るじゃありませんか」
ふわりと彼女は微笑み、美鷺の手を優しく握った。
その行為に些か驚いた美鷺は手を振り払おうとも思ったが、何故だかそれが出来なかった。
「……。幾千幾万と世界が存在する…。亜空間を隔てて。
そんな中の一つの、滅んだ世界から、としか言いようがありませんね」
「……」
アテナはただ、静かに。美鷺の語りだす言葉に耳を傾けた。
「…滅んだ…というか、正確にいえば…」
彼女は徐々に言い淀み、そして明らかに手の震えが強くなっていった。
「そう…私は主の代替わりを務めるため…旅に出て
戻ったら一族は神々に滅ぼされて…主と私の使い魔しかいなくて…」
ガタガタと震えながらも必死に言葉を続ける。
「そこに残党狩りの神々がいて…気付いたら敵を殲滅してた。
私は世界の望みを叶えるべく全てを滅ぼした…滅ぼした…滅ぼしたっ!!」
最後の言葉はすでに叫び声に近いものとなっていた。
「我等一族が何をしたというんだ。神々と魔とどちらにも付かない、中立の立場をと永劫に誓った!!
だのに、だのに、神々は…!!!だから神なんか大嫌いだっ!!!」
段々と錯乱していく彼女を見てアテナは美鷺を落ち着かせるため、そっと抱きしめた。
「世界再生の為にと別世界を巡ることになった。けど、きっとどうせどこの世界も
同じなんだ!神も魔も人も!根本は変わらない!!世界は疲弊するだけ!!
現に、ここだって同族で戦争なんかしてる。天が乱れれば地上も疲弊するのは
当たり前じゃないか!!」
私の存在意義ってなんなのさ…。永久の時を過ごす意味は…
しまいには、泣き崩れてしまっていた。
「……」
壮絶な過去を聞かされたアテナはどうしたものかと思案しつつ、
小宇宙を通じて父である主神に『どうやら異世界からの来訪者なだけのようです』とだけ伝えた。
もっとも、美鷺の心からの叫びは相当なものだった。
言わずとも、ゼウスとヘラには伝わっているかもしれない。
「…。美鷺、傷口を広げてしまったようで本当にごめんなさい。
ですが、良く話してくださいました。そのように泣かないで?」
ね?と優しく宥め。
「神々も人間も、そう捨てたものではありませんことよ?」
「……嘘だ」
「嘘などではありません。これからこちらの世界では主神ゼウスの統治になります。
私を守る闘士もおりますし、それぞれの神を守る闘士もおります。
これからは安定した時代になるでしょう」
「……証明できる?」
「……ええ。約束いたします。お疑いになるのであれば、私と契約いたしませんか?」
「…契約?」
「ええ。私は時折、悪がはびこる兆しが見えたときに聖闘士達の元…
つまり、地上へ降ります。そこに貴方もいて下されば、神も人も、そう悲観するものではないと
お分かりいただけるかと思うのですが…」
「…地上に悪が?平和なはずが?矛盾してる…
でも、確かに平和は長くは続かない物…なのか…しら…」
徐々に落ち着きを取り戻してきた美鷺はつっこみを入れつつも暫く思案し。
「……判りました。アテナ。貴方がそこまで言うのであれば。
私は貴方のお傍に居りましょう。貴方が約束を証明できるまで、何度でも。
貴方をこの世界での我が主として、お守りいたします」
「…あら。私としては、友として共に在って欲しいのですけれどもね」
くすくすと、困ったような笑みを浮かべながらもアテナは美鷺と契約を交わしたのであった。
移転前初出:2014年11月29日
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