翌朝。
湊は目を覚ますと夜着から部屋に置かれていた着物に着替える。
見れば上質そうな生地である。流石は領主の存在する城といったところか、湊は妙に感心した。
「…ん?でもいつの間に着物なんか準備を?」
昨夜遅くに奈落が持ってきたのだろうか?意外と細かいところに気が利く人なんだろうか?と湊は着替えを済ますと部屋を出ようと扉を開ける。
が、奈落の元に行こうにも神楽を伴い長い廊下を幾度も渡ってここまで来た彼女にとっては、一人で迷うことなく辿り着く自信はさらさらない。
湊は戸を閉め部屋の中央でごろりと横になった。
「…うう…一人じゃ何もできない…絶対道に迷う」
ぐうきゅるるる…と情けなくも湊の腹の虫が鳴る。
「お腹すいた…朝ごはん食べたいよ…」
そう言えば戦国時代ってどんなご飯食べてるんだろう、歴史の授業ではそこまで詳しく学んでないから見当がつかない、と湊は空腹のあまりぶつぶつと独り言を漏らす。
ああ、ごはん。ご飯が食べたい。飽食の時代が恋しい。思えば昨日の夜から何も食べていない。
そろそろ空腹の我慢も限界である。
「…ごはん……」
「おい、湊。何やってるんだい、早く来な」
がらり、と引き戸が勢いよく開けられたかと思うと神楽は湊の返事も待たずに室内に入り込む。
「!!神楽ああ~…!」
湊は思わず飛び起き涙目になりつつ神楽の元へと飛びついた。
その様子に神楽は一瞬戸惑い思わず後ずさる。
「な、なんで泣いてんだい…変な奴だな」
「…お腹すいた…ご飯食べさせてください…」
湊はすんすんと鼻をすすると涙目で訴えたのだった。
「わかった、わかったから泣くな。
ったく、人間てのは面倒な生き物だねえ…」
神楽は軽くぼやくと、まずは奈落の所に行くよと湊を連れて部屋から出たのだった。
「神楽はご飯何も食べないの?というか、何故奈落の所に?」
湊は慌てて神楽の後に着いて行き、道すがら疑問点を口にする。
「あんたには今日から奈落の侍女になってもらうからさ。
奈落の命令に従ってもらうよ。あとあたしは妖怪だから飯は食わないね」
神楽は事も無げに言いのけると、これからは一人で奈落のところまで行けるようにしてもらわなきゃならないからしっかり道を覚えろよと湊に促した。
「え、本当に妖怪なの?」
信じられないと湊は口をあんぐり開けたまま呆けていたが、神楽の「道を覚えろ」の言葉に冷汗をかきながら広い城内の廊下の道順を覚えるのに勤しんだ。
「奈落、連れて来たぜ」
神楽は奈落が待つ部屋へと湊を連れて行くと奈落は用意されていた朝餉を前に座っていた。
「…来たか…」
「…!朝ごはん!!!」
湊は目を輝かせつつ奈落の真向かいに席を取る。
が、お膳は一人分しかなかった。それに気付いた湊は自分の分は無い事を察すると瞬く間に表情を曇らし、か細く「ごはん…」と呟いた。
「……喰いたいか」
「うん」
奈落の問いかけに湊は即首を縦に振る。
「……」
「………」
しばし沈黙が続いたのち
「わしの分を食え」
わしには必要ないからな、と奈落はお膳を湊に差し出した。
「ありがとう!頂きます…!」
湊は破顔一笑し、食事に手を付ける。昨夜から何も食べていなかった分より一層美味しく感じられ湊はあっという間に朝餉をたいらげていた。
「とても美味しかったです、ご馳走様でした」
満足げに全てを完食した湊を見て奈落はまた新たに彼女の利用価値を見出した。
──…毎日の朝餉夕餉をどう処理するか考える手間が省けたな
自分の代わりに湊に喰わせればいいことだと気付いた奈落は湊の顔を見やると本題に入った。
「湊。貴様にはこの狒々の皮を貸し与える。
これを纏いある場所を歩いて来い」
そこまでの道は神楽に連れて行かせるから案ずるな
奈落はそう言い湊に自身の狒々皮を手渡すと神楽を呼び二人を送り出した。
「ひえええ!た、高い…!」
落ちる落ちる…!と湊はがっしりと神楽の腕にしがみつく。
「あたしを誰だと思ってんだい、風使いの神楽だ、落としやしねえよ」
対して神楽は自分の羽船に湊と共に乗り込み飄々と空を駆けた。
「ほ、ほんとに人間じゃなかったんだ…」
「なんだい、今まで本当にあたしが妖怪じゃないと思っていたのか」
「うん、人間だと思ってた」
「…おめでたい奴だな」
神楽は呆れながらも速度を速める。
眼下に広がるは城下町や田畑、林や森などの原風景。
見た限りではとても長閑、そんな雰囲気が合いそうな景色だった。
似たような景色を幾度も過ぎ去り暫くしてから湊は地上に下ろされた。
「暫くこの辺りを歩き回ってるんだね。
日が暮れるころには迎えに来てやるよ」
そう言うと神楽は上空へと飛び去って行った。
「……え。マジで?」
辺りには誰一人もいない野原があり奥にはうっそうと茂った森が見える。
森はどことなく薄暗く見え気味が悪く感じられた。
「こんなとこ歩いて何になるの?」
湊は呆然としつつも言われた様にしなければならないと思い直し歩き出す。
現代人である湊にとっては見知らぬ土地を歩くのは大変な作業であった。
行けども行けども風景は変わらず、何かが起こるわけでもない。
現代はバスや電車等便利なものがあるがこの時代にはそう言ったものは何一つなく。
己の足で歩くしかない。目的もなくただ歩くだけ。
次第に歩き疲れて湊の歩む速度が落ちる。
「…そうだ、最近運動不足気味だったから丁度いい
散歩させてもらってると思えばいいんだ」
狒々皮が大きくてちょっと歩き辛いけどもこれも重りの代わりと思えばなんとか…
と湊は借りている狒々皮を纏い直し只管黙々と歩き続ける。
太陽が天高く上った頃、歩き疲れた湊は野原で大の字に寝そべった。
「ちょっとぐらい休憩してもいいよね」
湊はそう独り言ちると目を閉じた。
そよ風が気持ち良い。日差しも申し分ない温かさ。いつしか湊は眠りに誘われ、次に気付いた時には日が暮れかけていた。
「おい湊。迎えに来たぜ」
びゅう、と一陣の風が吹いたかと思えば次の瞬間には神楽がやってきていた。
「……帰るぜ」
特に何事もなかったのを察すると神楽は湊の手を引き羽船に乗せると城へと帰って行った。
この一連の流れが一カ月続いたある日のこと。
いつものように湊は神楽に送迎されて野原へと出て散歩に出て日暮れ前に城に戻ってくると、廊下で見たことのない人物とすれ違った。
──…綺麗な巫女さん。
湊は思わず立ち止まりその巫女を眺める。対してその女性は振り返る事もなく城を後にしていった。
お客さんか何かかな?と湊は特に気にも留めることなく、今では通いなれた奈落の部屋への道のりをご機嫌で突き進む。
「なーらーくー、今帰ったよー」
今日も特に何もなかったよと報告がてら引き戸を開け室内に入る。
「!!!?な、奈落?」
戸を閉めて奈落の方に振り向きそこで湊が目にしたのは、腕が引きちぎられたかのように体が変に砕けている奈落の姿だった。
「な、なにこれ」
自分の目の前で異様な光景が広がっていることに湊は気が動転し口をパクパクと動かすことしかできない。
「…騒ぐな」
こんなものすぐに治る、と言わんばかりに奈落は部屋の壺から這い出た何かを腕に回すと瞬く間に腕が元に戻っていた。
「……な、奈落も本当に妖怪だったんだ…」
部屋の中で湊はぺたりと腰を抜かす。
「…なんだ。やっと理解したのか」
奈落は喉でクツクツと笑むと、破れた着物を着換えるため新たに素襖を取り出し黙々と着付け始めた。
「…怖いか」
奈落は低い声音で湊に問いかけた。
「…うーん、さっきは確かにびっくりしたけども
別に今の所私、危ない目に遭ってないし…怖くはない…かな?」
寧ろ養ってもらってるし有り難いと思ってるけど…と頭をポリポリと掻き照れ笑いする湊に毒気を抜かれ奈落は「そうか」と答えるだけにとどめ。
──…奇妙な女だ
心底奈落はそう思った。
また別のある日。
湊はいつものように神楽に連れられて城を出た。
この城に滞在するようになって早一月半。訳も分からず暮らすことになったとはいえ特に危険な目に遭う事もなく、ましてや一日二食は約束され住む部屋もある。着替えは下着は無いものの着物はある。
即ち衣・食・住は確約されたものであった。
空から眺める町や野原を見ると、本当に戦国時代と言うか、テレビや博物館で見るような時代に来てるんだな、という感じがするが特にそれ以上の感情は今の所ない。
湊はいつも通りに野原に降りると日課になりつつある散歩に出ようとした。
その時である。いつもと違い何処からか声が聞こえたのは。
「…く…においだ!」
「本当に?」
「ああ、間違いない!」
ガサガサ!!と近くの雑木林と思しき所から草木を避ける音と共に声が近付いてくる。そして…
「奈落!!」
やい!てめえ!と言わんばかりに剣の切っ先を湊に向け鬼のような形相で睨み付ける犬耳を付けた少年が湊に立ちはだかった。
「!?」
いきなり剣先をちらつかされるとは思ってもみなかった湊は狒々皮の仮面の下で目を白黒させた。
「…犬夜叉、本当に奈落でしょうか」
法師姿の男性が犬耳少年、犬夜叉と言う人物に声を掛ける。
「奈落にしちゃちょっと背が小さくないかい?」
法師の後に続いたポニーテールの女性も犬夜叉に問いかける。
「ああ、間違いない。あの狒々皮は奈落の匂いだ。
妙な匂いも混じってるが…」
「…におい?」
湊はそんなに自分が匂うのかと思い、そういえばこっちに来てから水浴び以外お風呂には入れてないなあとくんくんと嗅いで見る。だがしかし別段気になる様な感じではなかった。
「…女?」
声がいつもと違うと感じたらしい犬夜叉は素っ頓狂な声を上げる。
「やい!てめえ、一体…」
犬夜叉が何者だと問い質そうとしたところで上空から犬夜叉の足元めがけて空気の刃が襲い掛かった。
犬夜叉たちは間髪を入れずそれを避け上空を見やる。
「…神楽!!」
「へ?神楽??」
湊は上空を見ようとして頭を振る。すると彼女には一回り大きい狒々皮、仮面がずれて頭部が露わになる。
「誰かと思えば犬夜叉じゃないか。
此処で会ったが運の尽きってね。あんたの命と四魂の欠片は頂くよ」
湊、とりあえず乗りな、と神楽は湊の腕を掴み羽船に乗せようとする。
「湊ちゃん??!」
今まさに羽船に乗ろうとしていた湊の背後から彼女の名前を呼ぶ声がして思わず湊は振り返った。
「か、かごめちゃん!!?」
湊は急展開過ぎて目を白黒させた。湊と同じく現代人であるはずの人物、日暮神社神主の孫娘かごめがここ戦国時代に居たからだ。
「なんでこんなところに??」
湊とかごめの声が綺麗にハモったのは言うまでもなかった。
移転前初出:2017年10月10日
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