── 一体、なにが起きたのか…
美鷺は、目の前に広がる光景に首を傾げるばかりだった。
── 確か、あの時…
そう。確か私は、仕事が久々に丸1日休みだったはず。
普段、任務尽くしであまりゆっくり休んでいない私を心配した沙織に
「お姉様。お願いですから今日はゆっくり休んで下さいな」
と言われて。護衛の仕事も財団での研究業務も休みになっていて。
職務ばかりに日々を費やしていたから特に用事もなくて、手持ち無沙汰で。
急にできた休日に戸惑いつつも、気分転換に一人で屋敷を出て当てもなく散歩に出た。
ふと立ち寄ったのは、確か…。
そうそう。長い階段がある、神社だった。
由緒正しい清浄な雰囲気が好ましい神社。
参拝客がいなかったけれども、平日の日中だったから、閑散としているのは当たり前と言えば当たり前かもしれない。
その神社でのんびりと、神聖な空気を楽しんで。
そうしてしばらく過ごしていたら、違和感を感じたのよ。
清められた空間の筈な場所なのに。小者の妖しが見えて。
始めは、迷い込んできたのか?とも思った。けれども、そうではないみたいで。
次第にその数が増えていき…。
その中で、一際違和感を感じた方角を見ると、しめ縄で区切られた区域の中にあるお社から…井戸が見えたんだ。
…そうしたら、いつの間にか私の周りに小者の妖しがまとわりついていて。
まるで「早くあの中へ行こう」と言わんばかりに、手を引かれ背中を押され。
害は無さそうだったから彼らを浄化しないで様子を見ていたのがまずかったのか…。
私はそのまま井戸の下まで連れて行かれ。
──気がつけば、先程までいた筈の神社とは全く違う、見も知らぬ場所に私はただ一人佇んでいた。
「…。ここはどこかしら」
空気も澱んでいる。
澱んでいる、というか…。先程までいた東京の空気と違い排気ガスや光化学スモッグなどはない、澄んだ空気には感じられる。
なのに、そう言った澱みとは違う何かがある。
「…困ったわね。場所が分からないことには沙織にも連絡が取れないわ。
それに、何時間経ったのかすら把握できない…。
丸1日過ぎてしまったのかしら?そうであれば、心配しているだろうなあ…」
普段、行先を告げずに長時間不在にしたことがないから、城戸邸では連絡がつかないことにてんやわんやしているかもしれない。
そう考えあぐねていると。
──ブウウン…
美鷺の頭上から、昆虫のような羽音が聞こえた。
「…?」
虫…?見たところ、雀蜂のようだけど…それにしては、だいぶ大きいわね。
それに、蜂にしては毒々しいというか、瘴気を感じる…。
羽音の方向を見上げながら未登録名前は、頭上でこちらの様子を伺っているようなその生き物を観察する。
攻撃もしてこないことから、敵意がないことが受け取れた。
「…ねえ、キミ。ここがどこだか教えてくれない?」
美鷺はそのナニカに対して言葉をかけてみる。
普通の虫ではないということは勘で察したので、もし言葉が分かれば何かの手がかりになるかもしれないと踏んだのだ。
――ブウウウウウン…
だが、返ってくるのは羽音ばかり。
「…そっか。うん、そうよね。言葉が話せなければ答えられないわね。
ごめん、今の質問は忘れて」
当てが外れたか…と頭を一掻きし、うーんと唸り美鷺は辺りをじっくり観察する。
見たところ、今いる場所はどこかの街道のようだった。
ただ。東京と違うところといえば。
辺りは薄暗く。アスファルトで舗装された道でもなく。
東京にも舗装されていない公道などは、都心以外にもある。
だが、ここはそう言った『田舎の未舗装の道』とも違うようだ。
さらに見渡すと、まるで時代劇のセットのように、戦があったと思しき痕跡が残っている。
鎧兜を被った髑髏の山。折れた長槍。錆び付いた日本刀の数々。この錆はこびり付いた血によって出来たものだろうか。
骸骨を見て、それなりに時間は経っているように見受けられる。
「…時代劇のロケ地…という訳でもなさそうね。
これは本物の亡骸だわ…」
…ここは、一体どこなのだろうか。
「…まさか、タイムスリップしたとか…。
……………。無いか」
まだ確定的な情報を得ていないのだ。安易に、タイムスリップしたと考えるのは妥当ではないわね。
そう美鷺は呟くと、これからどうすべきか思案していた。そんな折。
「グオオオオオオオオォォォッ!!」
背後からけたたましい雄叫びが聞こえたかと思えば
――シャッ!!!
何かが振り下ろされた気配が感じられ、その余波で空気が揺らいだ。
「…!!」
美鷺は気配を察し、間一髪のところでその何かを避けた。
よけざまに垣間見たものは、大きな異形の者だった。見れば、手に大きな刀を持っている。
…どうやら、あれで攻撃してきたようね。
美鷺は冷静に状況を判断していた。
「人間の娘だ…。久々に娘の肉にありつける…!
女、ワシに嬲り殺されるのを光栄に思うがいい!!」
「…お断りしますわ」
「…なにい…?小娘がっ!!」
ドスンッ!!
大剣が美鷺めがけて振り下ろされたかと思えば、その場にあるのは砕かれた大地。
「…わけもわからないうちに殺されるのは勘弁、ということですわ。殺されるつもりもありませんけどもね」
難なく攻撃をかわし、美鷺は辺りに突き刺さっている日本刀を引き抜いた。
「…この刀であれば時間は稼げそうね」
そうポツリと呟き、己本来の武器を具現化する時間を作ろうと異形の者に向き合う。
「貴方はどうやら、妖し…のようですわね。死んだら輪廻の輪に戻れないでしょうに…。
悪いことは言わないから、さっさと寝座にお戻りになられたら?」
「小娘がっ!生意気な!!
貴様にワシが倒せると思うのか!!」
美鷺の言葉に激昂したその者は、ブンッ!!と力任せに大剣を振り下ろす。
それを剣で受け流し、ひらりと攻撃を交わす美鷺。さらに追撃で足払いを施した。
「ふんっ!!」
美鷺の足払いを避け、異形の者は体制を整える。
「…無駄な争いは好きではないので。それに、輪廻に戻れない者を倒すのは偲びないでしょう?」
満面の笑みで彼女は言い放つ。と、その笑みとは裏腹にじわじわと、その者に殺気を立て始めた。
まるで、『実力の差も解らないのか』『そんなに滅びたいのなら相手になる』とでも言うかのような気迫である。
「フンッ!!そんななまくら刀で何ができる!!死ねっ!小娘!!」
さらにけたたましい雄叫びをあげ、異形の者は彼女を仕留めんとばかりに大剣を振り下ろす。
それを再度受け流し、敵の大剣を弾き飛ばした。
「…伊達に、修羅場は潜ってないんでね」
美鷺はそう言い返し目を細めると、手のひらに力を込め、そして…
「水嵐!!!」
呪を施したかと思えば、彼女のそばで水が湧き出て、さらには激流を為し、目前にいた者を押し流した。
「ぐああああああああああっ!!」
まともに激流を喰らったその者は地に伏し、肩で荒く息をつく。
「小娘がっ…人間の癖に…小生意気にも術だと…」
「…もう一度言うよ。命が惜しかったらさっさと寝座にお戻り。
見たところ、食人鬼のようだけど今回は見逃してあげる。でも、次にまた会ったらその時は容赦しないわよ」
――正確には、私は人間でないけどね。
複雑な面持ちになりながらも美鷺は食人鬼から踵を返すと
「…妖怪が跋扈する世界…か。
ま、本来の術は使えるしなんとかなるわね」
そうひとりごち、その場を後にしようと歩き出した。
先ほどのひと悶着を起こした場所から離れること幾数分。
「…時代は確証がつかないけど、妖怪がいる時点でだいたい把握できるかしら…ね」
辺りにあった、鎧兜をまとった髑髏。食人鬼の存在。中でも、妖怪の方が人間より偉いとでも言うかのような雰囲気。
「これで街並みも中世の日本だったら間違いなく、平安末期か室町か。戦国時代辺りにタイムスリップ、かしらね…」
厄介なことになったわ…。
はあ…と、美鷺は盛大に溜息をつき。
「…とりあえず、街を探すしかないですわね」
…街に入って情報を探して…。っと、そういえば。
「服…。このままで大丈夫かしら」
美鷺はここにきて初めて、自分の服装に気を回した。
「…まあ、スカートではないし、動きやすいけれども…。
和服、どこかで入手しなくちゃダメかしらね…。
この時代の貨幣、どうにかして手に入れないと。…いっそのこと、何でも屋でもしながら旅をしようかしら」
商隊の護衛に日々の御用聞きに、占術に…
鼻歌交じりに呟きながら歩き…。
「……問題は、いつ帰れるのかなんだけどね…。
次の任務でこの世界に呼ばれたのなら帰れない…かな」
はあ~……。
本日2度目美鷺は盛大にため息をついた。
そんな美鷺を今まで眺めている存在がいた。
――ブウウウウウウン…
相も変わらず、大きな羽を羽ばたかせ羽音を出しているあの虫である。
美鷺の遥か頭上をずっと飛び回っていたかと思えば、次第にその高度を下げ、そして…。
――ブウウウン
様子を伺うように彼女の肩辺りまで高度を下げ、じっと、美鷺の表情を読んでいるかのように見つめている。
「…あれ、キミ居たの?」
食人鬼との一戦以降、己一人だけしか居ないと思っていた美鷺は、独り言の数々を聞かれていたことを知り、バツが悪そうに肩をすくめた。
例の虫は相変わらず羽音を響かせている。
「…。キミ、この辺りで一番近い村とか街とか知らない?
……って、言葉通じないんでしたわね。忘れて下さいな」
はあ…、と、彼女が溜め息をつくと。
ソレは美鷺の肩口から高度を上げ、ついて来いと言わんばかりに動き、ゆっくりと、ある方角を目指して飛び始めた。
「……。なんだ。多少は言葉が解るのね」
ポカンと口を開け、ハッとしつつも美鷺はその虫の後を付いていくのであった。
移転前初出:2018年9月15日
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